第95回選抜高校野球大会が開幕した。今年は新型コロナウイルス感染症の感染対策が一部緩和され、選手全員での入場行進が4年ぶりに復活した。

センバツでは毎年、入場行進曲が決められる。今年はNHKの連続テレビ小説「舞いあがれ」の主題歌「アイラブユー」(back number)が選ばれ、行進曲らしいアレンジにして演奏された。

センバツの入場行進曲は1962年(昭37)の第34回大会から、前年のヒット曲を中心に採用されている。その最初は「上を向いて歩こう」(坂本九)だった。入場行進曲のアレコレを紹介する。

◆1回で消えた初代大会歌 満州事変が始まった31年(昭6)の8回大会で、初の大会歌「蒼空高き甲子園」が入場行進曲に使われた。時代小説「丹下左膳」の長谷川海太郎氏が「谷譲次」のペンネームで作詞し、陸軍戸山学校軍楽隊が作曲した。歌詞にあった「オール日本の若人に」や「ヤング日本の雄叫びを」が、敵性語であると軍部からクレームがつき、わずか1年で廃止された。

◆同一曲は4年連続4回が最多 戦前には2代目大会歌「陽は舞いおどる甲子園」が34年(昭9)から37年まで4年連続で使用された。戦時色が強くなった翌36年から入場行進曲は「愛国行進曲」など軍歌に変わった。ちなみに3代目大会歌「今ありて」(作詞・阿久悠、作曲・谷村新司)は93年の65回記念大会で発表され、同年と18年の90回記念大会で2回使われた。

◆同一曲の2回は4作品(大会歌は除く) コロナ禍の影響で92、93回大会で「パプリカ」(Foorin)が、戦後初の2年連続で入場行進曲となった。

「世界の国からこんにちは」は、67年と70年に入場行進曲となった。70年に開催された大阪万博のテーマソングで、67年に三波春夫(テイチク)坂本九(東芝)吉永小百合(日本ビクター)などレコード会社8社競作で発売された。国民的ヒットとなり、レコード発売年と万博開催年の2回採用された。

平成最後の大会となった19年(5月1日から令和元年)は「世界に一つだけの花」(SMAP)と「どんなときも。」(槇原敬之)がメドレーで演奏された。「平成を代表する曲」として採用された。「世界に-」は04年に、「どんな-」は92年に単独で入場行進曲になっており、ともに2回目だった。

◆坂本九の6回がダントツ 「上を向いて歩こう」(62年)「幸せなら手をたたこう」(65年)「ともだち」(66年)「世界の国からこんにちは」(67、70年の2回)「明日があるさ」(02年=ウルフルズらがカバー)と計6回、坂本九の曲が使用された。同一歌手の別の曲での3年連続は坂本だけである。他は吉永小百合とSMAPが3回。三波春夫、岩崎宏美、サザンオールスターズ、AKB48、槇原敬之、Foorinが2回(大会歌は除く)。槙原はSMAPの「世界に一つだけの花」を作詞作曲し、自らも歌唱しており、3回とも言える。

◆メドレーは2回 21世紀となった01年の73回大会で、サザンオールスターズの「TSUNAMI」とビートルズの「イエスタデイ/ヘイ・ジュード/オブラディ・オブラダ」がメドレーで演奏された。「TSUNAMI」は前年の日本レコード大賞で「サザンは新時代の、ビートルズは20世紀の代表」が理由。前述の19年の91回大会で「世界に一つだけの花」と「どんなときも。」が演奏された。

◆「長い間」待った初優勝 99年の71回大会で、沖縄尚学が県勢初の全国制覇。まだ米占領下だった58年夏の甲子園に首里が初出場してから42年目の、沖縄県民の悲願成就だった。この時の入場行進曲「長い間」は沖縄の女性デュオKiroroの曲で、勝利の女神といわれた。

入場行進曲を聞いて、その時代を思い返せるのも、センバツの長い歴史のたまものである。【笹森文彦】