1972年(昭47)の映画「木枯し紋次郎」や91年「新・極道の妻たち」などで知られる、中島貞夫監督が11日夕方、肺炎のため京都市内の病院で亡くなった。88歳だった。かつて社員として所属した東映が15日、発表した。葬儀は家族葬として既に執り行った。

中島監督は、1943年(昭18)8月6日に千葉県東金市に生まれ、55年に東大文学部美学美術史学科に入学。脚本家の倉本聰氏(88)らと「ギリシャ悲劇研究会」を結成し、日比谷野外公会堂公演の演出を担当した。

大学卒業後、東映に入社し、64年の「くノ一忍法」で監督デビューし、京都市民映画祭新人監督賞受賞。67年からフリーの監督として、やくざ、風俗、任侠、時代劇、文芸、喜劇などなど多種多様の作品を手がけた。

代表作は「893愚連隊」(66年)、「大奥マル秘物語」(67年)、「日本暗殺秘録」(69年)「まむしの兄弟」シリーズ(71年~)、「木枯し紋次郎」シリーズ、「暴動島根刑務所」(75年)、『狂った野獣』(1976年)、「沖縄やくざ戦争」(76年)、『「本の首領」三部作(77年~)、「真田幸村の謀略」(79年)、「制覇」(82年)、「序の舞」(84年。インド映画祭監督賞受賞)、「瀬降り物語」(85年)、「女帝 春局」(90年)、「新 極道の妻たち」(91年)、「極道の妻たち 危険な賭け」(96年)、「極道の妻たち 決着」(98年)など多数。

大部屋俳優からスターを輩出し、若手スタッフ指導に尽力するなど、後進に希望を与え続け、京都市文化功労賞(01年)、京都府文化功労賞(02年)、牧野省三賞(06年)、映画の日特別功労賞(15年)、京都映画大賞(18年)など受賞多数。

19年には、監督として育ててくれた東映京都撮影所のため、京都の映画作りの伝統を残すため、高良健吾(35)を主演に20年ぶりの長編劇映画「多十郎殉愛記」を製作、公開した。今年1月27日には、同作の製作に込められた想いを追ったドキュメンタリー映画「遊撃」が公開されたが、その頃は体調が思わしくなかったという。「多十郎殉愛記」が結果的に、遺作となった。