食道がんの手術から復帰したものの再休養していたタレントやしきたかじんさんが、今月3日未明に64歳で亡くなっていた。歌手として「やっぱ好きやねん」などのヒットを飛ばし、テレビ司会者としてもはっきりした物言いで人気を得たが、自身の番組を東京では放送させないなど、徹底して自分の主義を通した。そんな生きざまは、幼少時から貫かれてきたものだった。

 長きに巻かれるのを嫌い、東京至上主義を嫌がったたかじんさんは、子供のころから気骨のある男で、一方では現実をしっかり見据える力を持っていた。

 たかじんさんと実家が近く、4歳下だったという親族男性は、たかじんさんは小学生時代、野球が抜群にうまく、もっぱら「捕手専門」だった。野球少年なら誰もが憧れる投手でもなく、あくまでも頭脳派ポジションを好んでいた。

 中学進学にあたり、野球の強豪校から勧誘されたが、野球で生きていくには実力が足りないと自分で判断したようで、勉強に力を注いでいた。同男性は「ケンカもめっぽう強く、中学まで番長だった」と明かす。

 たかじんさんは「何でも腹くくって言え」「ケンカでも何でも、やるなら命がけでやれ」が口癖だったといい、歌手、司会者として成功した後も、朝日放送とトラブルがあり「2度と出ん」と宣言してから、その言を破ることはなかった。

 また、歌手デビューにあたり、両親に反対され、勘当されて上京。デビューアルバムをレコーディングし、帰阪した際に、親しい友人の家を訪ね「お前らには絶対、恥をかかせへんからな」と、自らを鼓舞するように成功を誓い、見事に約束を果たした。

 一方で、何事にもチャレンジ精神を失わないことでも知られ、口癖のひとつに「山の向こう側は、山に登ってみんと分からん」という言葉があった。