元号がかわり、昭和や平成を振り返る機会も多かった2019年の日本。同じくマカオも、返還20年という節目の年を迎えました。マカオが旧宗主国のポルトガルから中国に返還されたのは、1999年12月20日。以来、街が大変貌を遂げたのは、周知のとおりです。その昔はカジノのイメージが強かった街も、今はアートやエンターテインメントがあふれる魅力的で治安が良いシティーリゾートに。ツーリストにとってもますます魅力を増したマカオの、変化に富んだ20年間を振り返ります。【取材・構成 芹沢和美】

コタイ地区大変身!マカオ訪問者が爆発的に増加

20年前のマカオ市街風景
20年前のマカオ市街風景

今でこそ「成熟した観光都市」として知られているマカオは、もともと小さな漁村にすぎなかった。

東アジアでの交易拠点を求めて、ポルトガル人がマカオへやってきたのは16世紀中ごろのこと。彼らは祖国と同様に海と坂があるこの地に定住して街を築き、19世紀後半には、マカオを正式な統治区とした。450年以上におよぶポルトガル統治を経て、マカオが中国に返還されたのは1999年12月20日。その日から「マカオ特別行政区」がスタートし、以来、一大開発が進められた。これまで、人口は43万7000人から67万900人に、GDPは519億パタカから4447億パタカと約10倍にまで上昇している。

私たち旅行者にとっての目に見える変化といえば、なんといってもコタイ地区の大変身だろう。かつて干潟だった土地は、今や統合型リゾート(IR)が建ち並ぶエンターテインメントエリアに。マカオ全体を見ても、返還当時は約70軒・総客室数9100室だったホテルが、現在は約120軒・総客室数4万室にまで増えている。定期直行便の増便に加え、世界最長の海上橋である「港珠澳大橋」を香港から利用するルートも加わり、日本とマカオの時間的距離もぐっと短くなった。日本だけでなく世界からの旅行者数も爆発的に増え、2018年は3500万人以上の人がマカオを旅先に選んでいる。

昨年10月24日に開通した港珠澳大橋ⓒ港珠澳大橋管理事務局

01年マカオタワー誕生!様々なトピックが話題に

2001年に開業したマカオタワー
2001年に開業したマカオタワー

その背景にあるのが、話題を集めたさまざまなできごとだ。2001年には、返還後の新しい街のシンボルとしてマカオタワーが誕生。全長338メートル、東京タワーより5メートル高いことが、当時は話題となった。現在は、高さ233メートルから飛ぶバンジージャンプが人気を集めている。

05年には、ポルトガル統治時代に建てられた建物を含む街並みが「マカオ歴史市街地区」としてユネスコ世界文化遺産に登録。歴史を刻んだ古い建物がふたたび脚光を浴びた。これらの世界遺産には、見るだけ、写真を撮るだけの立ち入り禁止地域は1つもなく、人々の息吹を間近に感じられるのも、人気の理由だ。

16年には、双子のパンダが誕生し、ファミリー層の旅行者も増加。さらに、17年の「ユネスコ食文化創造都市(シティー・オブ・ガストロノミー)」の認定も記憶に新しい。これも、歴史に裏打ちされた独自の食文化が息づいているマカオだからこそ。目下、「食べること」を楽しみに、各国の人々が街を訪れている。

この20年で、観光都市へと変貌を遂げたマカオ。最先端の統合型リゾートが建ち並ぶ一方で、ダウンタウンには昔ながらの風情やポルトガルの面影を残しているのがなによりの魅力だ。 他の国や街にはない唯一無二の個性を持つ街は、まだまだ私たちを刺激し、魅了してくれることだろう。