日本は元号が変わる2019年、マカオも記念すべき年を迎えています。今年は、マカオが旧宗主国のポルトガルから中国に返還されて20年の節目。この間、街は昔ながらの風景も大切に保存しながら、開発区では前代未聞の発展を遂げてきました。変わりゆく街の20年を振り返ります。【取材・構成 芹沢和美】

ホテル数が約1.5倍に!日本人訪問者数も2倍に増加

大型リゾートホテルが建ち並ぶ現在のコタイ地区
大型リゾートホテルが建ち並ぶ現在のコタイ地区
約20年前のマカオ。写真手前のロータリー周辺が現在のコタイ地区
約20年前のマカオ。写真手前のロータリー周辺が現在のコタイ地区

古今東西が混ざり合う、マカオの風景。唯一無二ともいえるこの景観をつくりだしているのは、400年以上にわたるポルトガルとの関わりだ。中国の片田舎だったこの地に、東アジアでの交易拠点を求めてポルトガル人が来航したのは16世紀中ごろのこと。以来、彼らはこの地に祖国とよく似た街を築き、19世紀後半には、マカオを正式に統治した。長い歴史を経て、マカオが中国に返還されたのは、1999年12月20日。以来20年間、かつてないほどの勢いと規模で開発がすすめられた。

発展の経過を、数字で比較してみよう。旅行者にとって分かりやすいのは、やはりホテルの数。1998年は77軒だった宿泊施設数が、2018年には120軒に。客室数でみると、8895室から3万9477室と、大幅に増えている。大型リゾートホテルが林立するコタイを訪れたことがある人なら、うなずける数字だろう。

地図を見ても、その変貌ぶりは一目瞭然。1998年当時の地図を見ると、半島部と橋でつながるタイパ島と、そこから埋め立て地でつながるコロアン島がはっきりと分かる。当時は「島感」があったタイパとコロアンは、現在はすっかり地続きとなり、埋め立て地のコタイは華やかなリゾートエリアとなった。

当然、暮らす人や訪れる人も増加している。人口は43万549人から66万8000人に、世界各国からの訪問者数は約695万人から約3580万人に、日本人の訪問者数も約16万人から約33万人に増えている。

ユネスコ認定!世界文化遺産登録&食文化創造都市

世界文化遺産のひとつ、聖ポール天主堂跡
世界文化遺産のひとつ、聖ポール天主堂跡

記憶に新しいのは、2つのユネスコ認定だ。ひとつは、2005年の世界文化遺産登録。東洋と西洋の文化が融合してきた歴史的背景から、マカオ半島にある22の建造物と8カ所の広場を含む日常生活地域が「マカオ歴史市街地区」となり、アジアを代表する観光地として人気を集めるきっかけとなった。もうひとつは、2017年の食文化創造都市の認定。たんに郷土料理がおいしいというだけでなく、歴史に裏打ちされた独自の食文化が息づいていることから、世界に26都市しかない認定都市の仲間入りを果たしている。

話題に事欠くことのなかった、マカオの20年。現在も、完成したばかりの港珠澳大橋を利用して、マカオや香港、広東省の街々をつなぐ新しい観光ルートに、熱い視線が注がれている。すっかり成熟したように見えるマカオは、まだまだ成長中。これからも、旅行者にとっては、楽しみが多い場所であることは間違いがないだろう。今年は、12月20日の返還20周年記念日に向けて、街ではさまざまなイベントも企画されている。