東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から11日で12年となった。宮城県石巻市の震災遺構・大川小学校では、校舎の劣化対策も動き始めた。
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あの日から干支(えと)が一回りし、また卯(う)年を迎えた。宮城県石巻市は、大津波で児童・教職員計84人が犠牲になったことを伝える震災遺構・大川小学校の劣化対策費1000万円を、23年度予算に初めて盛り込んだ。長く風雨にさらされるなどして、床などが激しく傷んできたためだ。市は基本方針を「ありのままを残す存置保存」とし校舎に手を加えてこなかったが、遺族らが対策を求めていた。
予算のうち、250万円はコウモリ対策費、750万円は雨漏りなどの補修費。市の震災伝承推進室・水澤秀晃室長は「校舎内全般にコウモリと思われるフンが見られ、調査と駆除をする予定。また低学年の教室だった部分の天窓などが割れ、穴が開いて雨が降り込み、それらの下の床の劣化損傷が激しくなっています。穴は大きい。劣化損傷を防ぐことを優先しつつ、できるだけ“ありのまま”に影響の出ない方法をと思っています」と説明する。
85年完成の校舎は保存か解体かの議論の末、震災遺構として整備され、21年7月から一般公開された。震災当時の姿を残す校舎は自然の猛威と悲劇をまざまざと伝え、声を失う人も多い。遺族の一部らは以前から劣化・風化を懸念し、ありのままを伝えるためにも適切なメンテナンスが早急に必要などと要望してきた。
震災遺構になって校舎内は立ち入り禁止となったが、以前は遺族らが清掃などしていたためコウモリもいなかったという。昨年8月には、野外ステージの児童が描いた壁画に劣化を防ぐための塗装がされた。校歌のタイトル「未来を拓く」の文字や鮮やかな色彩で描かれた画で、津波にも耐えたが、はがれてきていた。遺族らは市側に対策を求めていたが、結局、心配した業者が無償で作業した。
昨年12月、斎藤正美市長が校舎内を視察。遺族から説明を聞き、予算化された。斎藤市長は先月の会見で「修繕しないと廃虚になる。校舎を保存し、震災を後世に伝えることが使命」などと話した。水澤室長も「基本方針は変わりませんが、防災教育や震災の伝承などで、国民の未来の命を守る大事な施設、石巻の大切な財産と思っています。遺族のみなさんや若い方々とも話し合いながら、劣化が進み、逆にありのままを伝えられないことにならないようにしたいと思っています」と話す。
遺族の1人で「大川伝承の会」共同代表の佐藤敏郎さんは「海外の人も含め、多くのみなさんが大切な所として向き合い始めてくれるようになり、少しずつ動かしてきた成果が少しずつ出てきました。今回の予算にもつながったと思います」とし「何のためにここを残し、何をどう伝えていくのか、もっと話し合っていかないと。過去を未来に生かすため、例えば伝承館の展示ももっと中身のあるものにアップデートする必要もあります。まだ12年しかたっていません。いかに未来への学びに変えていくかは、これからだと思います」などと指摘している。
市によると、一般公開開始からの訪問者は累計11万5000人超(1日平均195人、今年2月末)といい、実際はそれより多いとの指摘もある。全国から中高大学生や学校の先生が研修などで訪問。今年1月には文科省が、全国の学校防災関係の教員による学校安全指導者研修会も開いた。次の自然災害がいつどこに起きてもおかしくない中、生々しい教訓を前に、防災について誰もが自分のこととして考えさせられる貴重な場になっている。
震災遺構は、初期整備費は国の復興交付金でまかなうが、その後の維持管理費は自治体の負担。入場料を設定しているところもあるが、大川小は無料。市は慰霊・追悼の場であり、防災教育の伝承の場でもあるためと説明する。財政が厳しくなる中、24年度以降の劣化対策予算は未知数でもある。
卒論のテーマなどにしたいと訪問していた関西地方の大学生2人は「どう残すか難しい問題ですが、勉強している身にはすごくありがたい施設です」、「記事や資料を読んでいても、ここに来ると印象が全然違いました。とてもリアルで、当時の子どもたちの気持ちなどもイメージできます。このスケール、この形で後世に残してほしいです」などと話していた。【久保勇人】
◆大川小学校の被害 校舎は河口から約4キロ離れた北上川の近く。大津波警報も出たが、児童らは約50分も校庭にとどまり、近くの橋のたもとに避難を始めてすぐ、川をさかのぼってきた津波に襲われた。児童74人、教職員10人が死亡、行方不明となり、震災の学校管理下における最悪の犠牲となった。市や市教育委員会が説明を二転三転させたり、児童の聞き取りメモ廃棄など許されない対応を続けるなどした。児童23人の遺族は14年に市と県を提訴。16年の一審仙台地裁判決は現場過失のみを認め、双方控訴。18年の二審仙台高裁判決は「平時からの組織的過失」を認定し、市と県に約14億3600万円の支払いを命じた。19年に最高裁が市と県の上告を退けた。

