自社さ政権で第81代内閣総理大臣を務めた村山富市(むらやま・とみいち)元首相が17日、死去した。101歳。大分県出身。
村山氏は大分市で生まれ高等小学校を卒業後に、上京。働きながら学ぶ中、第2次大戦に召集され、終戦を迎えた。終戦後に明大を卒業後、故郷に戻り、2度目の挑戦で大分市議に初当選。その後県議となり、1972年の衆院選大分選挙区で初当選。頭角を現すようになった。
かつて55年体制と呼ばれた政治情勢の中、自民党の対抗軸でもあった旧社会党出身として、戦後直後の1947年の片山哲氏以来、47年ぶりに首相に就任したのが、村山氏だった。当時は、1993年の細川護熙連立政権誕生で長らく権力を牛耳った自民党が下野し、日本政界の権力構図が激変し始めた時代。細川連立政権退陣後、羽田孜政権が発足したが、その際連立与党内に社会党とさきがけを抜いた形での統一会派構想が表面化。当時社会党委員長だった村山氏は連立離脱を決断し、少数与党として発足した羽田政権は短命に終わった。後継をめぐって、自民党側から首相首班の打診を受けた村山氏は、連立与党側が擁立した海部俊樹氏を決選投票の末にやぶり、1994年6月に誕生した自民、社民、新党さきがけによる連立政権のトップに立った。
かつて対立した自民党と社会党が手を組む構図は「野合」と批判された。また、村山氏は社会党の党是でもあった「自衛隊は憲法違反」などの方針を転換し、「自衛隊合憲」「日米安保体制の堅持」を表明し、政権運営に当たった。在職中の1995年には、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件などオウム真理教による一連の凶悪な事件が発生。日本全体が混乱する中、首相として国をまとめ上げる役割を担った。
1996年1月11日に退陣。在職期間は1994年(平6)6月30日から1996年1月11日の、561日に及んだ。
◆村山富市(むらやま・とみいち)1924年(大13)、大分市生まれ。明大専門部卒。大分市議、県議を経て1972年に衆院初当選。1993年に社会党委員長に就任、その後社民党初代党首に就任。1994年4月に自民、さきがけとの連立政権で第81代内閣総理大臣に就任。2000年6月、政界引退。当選回数は8回。社民党名誉党首を務めた。

