2000年11月、記者は米国ケンタッキー州ルイビルにいました。野球のバットで知られる「ルイビルスラッガー」の、あのルイビルです。そこには、ケンタッキーダービーの舞台となるチャーチルダウンズ競馬場があります。

その年はブリーダーズCの舞台でもありました。日本からBCスプリント(ダート1200メートル)にアグネスワールド(牡5=当時、森秀)が参戦。99年には小倉芝1200メートルで1分6秒5という、当時としてはとんでもないスーパーレコードをたたき出し、フランスのアベイドロンシャン賞、英国のジュライCと海外G1を2勝していた名スプリンターです。

国内でのダート戦の経験は少なかったですが、もともと米国産馬。遠征直前にもG1スプリンターズSで2着と好走していましたし、鞍上は武豊騎手です。これはBCスプリントでも好勝負間違いなしと思っていました。

時代はまだミレニアムの2000年、世紀末です。原稿を送信するのも分厚めのノートPCを電話線につないでから…という時代で、特に写真の送信は重くて時間がかかって大変でした。競走馬の輸送も今より苦労が多かったと思いますが、森秀行調教師は馬が慣れない米国のダートコースで調教するリスクを考慮し、ギリギリまで日本で調整して、レース当週の水曜に競馬場に到着するプランを実行しました(レースは土曜)。

ということで、アグネスワールド到着前の数日は、ライバル陣営に片言の英語で取材して過ごしました。のちにBCスプリントを勝利する米国馬コナゴールドの関係者にアグネスワールドを知ってますか? と聞くと「I don't know」。日本でも競馬をやっているのか? くらいのことを言われた気がします(薄い記憶ですが)。今に見とけよ…と、いち記者の分際でメラメラしていました。

ちなみに、イチローさんがマリナーズに、日本ハムの新庄剛志監督がメッツに移籍したのが翌01年。日本人の野手は初めてでした。そのイチローさんは今年、MLBの殿堂入りを果たされました。メジャーリーグの先人である野茂英雄さんに感謝を述べられたスピーチは感動的でした。

余談ですが、その01年から野球担当に異動した記者は、メッツ新庄選手の取材で1カ月半、ニューヨークに行きました。日本人選手として初めて4番を打った試合も取材。相手投手は、その年にワールドシリーズMVPを獲得するダイヤモンドバックスのランディ・ジョンソン投手で、記念すべき第1打席はなんと“振り逃げ”でした。

話がそれましたが、レースで、アグネスワールドは好スタートを切ります。しかしその直後、わずかにつまずくところがあり、また最初の2ハロンが20秒台という日本のダートでは考えられないハイペースで、道中は中団の前あたり。直線はジリジリ伸びましたが8着でした。“あの”コナゴールドの勝ち時計は驚異の1分7秒77。芝並みのスピードでした。

森師にとっては、スキーキャプテンで敗れた95年ケンタッキーダービー以来2度目のチャーチルダウンズ競馬場でした。「甘くないとわかった。でも、アメリカにはまた来るよ」という言葉が印象的でした。

あれから20年以上がたちました。2021年にマルシュロレーヌ(牝5=当時、矢作)がBCディスタフ(ダート1800メートル)で、日本馬として初めて米ダートG1を勝ちました。そして今年、フォーエバーヤング(牡4、矢作)が米ダートG1の頂点、BCクラシックを制しました。フォーエバーヤングの藤田晋オーナーは日刊スポーツの独占優勝手記で「日本競馬の発展に貢献してきた皆さんに心からの賛辞を送りたい」と記されていました。

感動的な勝利から一夜明け、昔のことを懐かしく思い出しました。【伊嶋健一郎デスク@中之島】