打者の能力を計る記録に「長打率」がある。計算式は「塁打数÷打数」。1打数あたりどれだけの塁打数を獲得できるかという指標だ。通算4000打数以上の最高は王貞治の6割3分4厘。以下(2)カブレラ(西武ほか)5割9分2厘(3)松井秀喜(巨人)5割8分2厘(4)落合博満(ロッテほか)5割6分4厘(5)タフィ・ローズ(近鉄ほか)5割5分9厘と、強打者の名前が並ぶ。

1打数1安打でそれがシングルヒットなら、1塁打÷1打数で長打率は10割。二塁打なら20割だ。したがって、全打席で本塁打なら長打率は40割となる。夢の数字を達成し、そのまま球界を去った選手として知られるのが、塩瀬盛道投手(東急)だ。

1950年(昭25)5月11日、後楽園での大映-東急戦は大荒れの試合となった。大映は4回、飯島滋弥、渡辺一衛、板倉正男がパ・リーグ初の1イニング3本塁打。ところが7回には、東急が無死満塁のピンチを三重殺で切り抜けるなど珍記録が続出した。

塩瀬はこの試合、0-18と大量リードを許した5回裏2死からプロ初登板を果たした。最初の打者、投手の姫野好治を三振に取り、無難なスタートを切る。そして6回表2死一塁で、プロ初打席が巡ってきた。先ほど三振に抑えた姫野の初球にバットを出すと、右翼席最前列への2ラン本塁打となった。

ところが、よいことばかりは続かない。その裏マウンドに立った塩瀬は3四球と安打で2失点。7回裏は2四球で無死満塁のピンチを招き、マウンドを降りた。投手としての成績は、1イニング3分の1で失点、自責ともに2。被安打2、与四球5、防御率13・50。この不成績のため、2度と1軍公式戦出場のないままこの年限りで引退となった。したがって、生涯長打率は、往年の名選手たちを足元にも寄せ付けない「40割」のまま残った。

この究極の数字を残して引退した選手には、91年にDH制導入後初の投手による本塁打を放ったシュルジー(オリックス)もいる。ただしシュルジーは、3年間で57試合もの登板がある。一方の塩瀬は、この試合が生涯唯一の公式戦出場。通算打撃成績は「1打数1安打、打率10割、1本塁打、長打率40割」。濃密な、あまりにも濃密な野球人生だった。

ところで、通算ではなくシーズンでの長打率40割、つまり「打数イコール本塁打」は、塩瀬とシュルジー含め6人いる。全員が1打席1本塁打である。そのうちの1人が阪神の長坂拳弥捕手だ。19年6月1日広島戦でこの年唯一の打席に立ち、左翼席に記念すべきプロ第1号を放っている。今季は春に新型コロナウイルスに感染し、まだ2軍戦のみの出場だ。何も40割までは望まない。早く1軍に昇格し、ファンに元気な姿を披露してほしい。【記録室 高野勲】