令和初のドラフト会議では、育成選手を含めて107人の若者が12球団から指名された。

ドラフト会議もこの20年間で様変わりした。99年には育成選手制度(05年開始)もなければ、プロ志望届(04年に制度化)もなかった。その代わり、逆指名制度の真っただ中。大学・社会人の有望選手をめぐる激しい獲得合戦が水面下で繰り広げられ、裏金や密約のうわさも絶えなかった。

「スカウトも変わった」とこぼすのは、あるベテランスカウト。「逆指名や自由枠を経験したスカウトとそうでない人は、やっぱり経験値に差がある」という。靴底をすり減らし、目当ての選手がいる学校に日参する必要は、今はない。もしかしたら、スマートフォンでスカウト活動が進む時代かもしれない。ネットの普及、SNSの登場で、指1本で全国各地の有望株情報が入る。動画サイトでプレーの確認までできる。

ベテランスカウトは断言する。「そういうスカウトは、大事な時に重要な情報をつかめない」。

例えば、他球団はどの選手を何位で指名するのか。より正確に把握できれば、本当に欲しい選手の指名順位を調整することが可能となる。アマ球界の人たちと信頼関係を築くことで、ドラフト戦略に生きる情報が入りやすくなるのは間違いない。時代は変われど、最後はやはり人と人なのだ。

プロ志望届もドラフト戦線を変えた。指名を望む高校生、大学生は全員、提出が義務づけられた。情報流通の進化につれ「隠し玉」が実態を伴わない言葉になりつつある。「俺しか知らない」とスカウトが胸を張れる選手は今、果たして存在するのだろうか。

日刊スポーツも今年「ドラフト候補生全員!? 会いに行きます」と題し、取材活動を進めた。3月からドラフト会議前日まで、計142選手を野球カード風にし、紙面や「ドラフト特集号」で紹介した。漏れはないつもりでドラフト当日を迎えた。支配下は74選手のうち65人(約88%)を紹介できていたが、育成は33選手中10人(約30%)にとどまった。全員の網羅はやはり困難。令和の時代になっても“ロマン”は存在し、そこにスカウト活動の神髄があることもまた、普遍の真理であるはずだ。

別のベテランスカウトは「普段の練習を見ることも絶対必要」と強調する。試合だけでは見えてこない、選手の素が分かるからだという。プロで生き抜く資質はあるか、足を使い人と会い、自らの目で確認する。狭いようで広い日本列島とアマ球界。スカウトたちは、また1年後へ向け全国を駆け回る。【アマチュア野球取材班】