野球の国から 平成野球史

安部友裕 野村との不思議な縁/平成元年生まれ2

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平成元年生まれの野球人が時代の節目に思うことは-。第2回は広島安部友裕内野手(29)が縁を語る。【取材=村野森】

16年7月、阪神戦で試合後にお立ち台でポーズをとる野村祐輔(左)と安部友裕
16年7月、阪神戦で試合後にお立ち台でポーズをとる野村祐輔(左)と安部友裕

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チームメートの野村と僕は1989年6月24日、同じ北九州の病院で生まれました。それに気づいたのは、野村が(11年ドラフト1位で)入ってちょっとしてから。あいつが(岡山育ちなのに)生まれたのは北九州っていうから、ああ、北九州なんやって。親に電話したら、同じ病院で、生まれた時間を聞いたらけっこう近かった。40分ぐらい前後してて、僕が早かったんじゃないですかね。

高校(福岡工大城東)時代は、あいつのことはまったく意識していなかった。(07年夏に広陵のエースとして準優勝した)甲子園も見てたわけじゃないですし。野球自体、見てなかったですよね。そもそも僕は、そこまで野球が好きじゃなかった。やるのも、見るのも。かっこつけてもしようがないんで言いますけど、使命感でやってたような感じでした。

広陵(が勝ち上がっている)というのはわかっていました。でも、決勝で佐賀のチームとやるんだという程度の認識。佐賀北ですか。それもわからなかった。自分のことでいっぱいいっぱいでした。僕は(甲子園に行った)2年夏はベンチ入りしたけど試合に出ていない。3年のときも故障して、県大会で負けました。

僕が先に(07年高校生ドラフトで)プロに入りましたが、何でドラ1かわからなかった。戸惑いのほうが大きかったですね。僕らのときのドラフトは大卒(大学・社会人)、高卒(高校生)と分かれてましたけど、それでも(高校3巡目の)丸(現巨人)は甲子園でも活躍(千葉経大付で06年夏、07年春出場)してたんで。自分の技術とそれまでの実績とかを感じて、ギャップがすごかった。調査書は来てたみたいですけど、僕は知らされていませんでした。

プロに入ってからは人間関係に悩んだり、野球以外の面も苦労した。余裕がなかったですね。

4年後、野村が(明大からドラフト1位で)入ってきた。すごい静かな同級生だなと思いました。野村はもともと、ワーッとはっちゃける感じではない。ぼくはワーッとテンション高めな感じなんで。それでも同学年ですから、ごはんもよく行ってました。飲みにも行った。まあ、今は彼、忙しいんで。僕もまあ、結婚して、ワーッといくことはなくなりましたけど。

それにしても、不思議な縁ですね。同じ日、同じ場所で生まれて、20年以上たっていっしょにやっている。これから先は、お互いにチームの中心として引っ張っていきたいってのはあります。いろんな人がいるけど、それでもやっぱり同じ方向は向いていかないといけない。引っ張っていけるような立場にきていると思う。年齢的にも。

野村にしても、ローテに入る投手で一番年上だと思うんで、やっていかないといけない。(5歳上の)ジョンソンはいますけどね。ただ投げればいいってだけじゃない。自分も負けずに、ずっと勝利に貢献できる立場でありたいですね、レギュラーとして。(広島東洋カープ内野手)

長期連載「野球の国から」の新シリーズ「平成野球史」を、新元号となる5月まで送ります。時代を変えた野球人、時代を彩った名勝負、時代を揺るがした事件。「平成」を深掘りして考察します。

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