三菱日立パワーシステムズの左腕・浜屋将太投手(20=樟南)が6日、ドラフト2位指名を受けた西武から指名あいさつを受けた。

浜屋は鹿児島・大隅半島の付け根にある大崎町の出身だ。人口約1・3万人の町ながら、これまで阪神福留孝介外野手(42)に広島松山竜平外野手(34)、西武榎田大樹投手(33)を輩出。浜屋が入団すれば、現役だけで4人になる。

巨人内田強スカウト(58)と西武赤田将吾1軍打撃コーチ(39)も大崎町出身。人口10万人超でもプロ野球選手未輩出の都市がいくつもある中で、この輩出率の高さは驚異的だ。なぜだろう。

「たまたま」の4文字で片付ければ早いが、ロマンを求めたい。春には「なぜ岩手から多くの剛腕が?」を念入りに取材し「幼少期の早寝」を仮説として報じたが、真実かどうかは誰にも分からない。この種の謎への科学的な検証は、極めて困難だ。でも、大崎町についてもやるだけやろう。

まずは浜屋に確認。「小さいころから何もないんで」と笑い「小学生の時はソフトボールをやっていました」と教えてくれた。福留、松山、榎田も大崎ソフトボールスポーツ少年団の先輩だという。今すぐ鹿児島に飛びたいが、我慢して大崎町役場に電話。同チームの岩元貴幸監督(49)を紹介してもらうことができた。

「いい投手でしたよ。上投げでもソフトの下投げでもすごくフォームがきれいで」と教え子の浜屋の少年時代を回想した岩元監督。「大崎からたくさんのプロ野球選手…なぜなんでしょう」と電話口から苦笑いが聞こえた。やはり科学的根拠を絞るのは難しいのか。ただ「大きいボールを打つには筋力と正しいフォームが必要。野球の基本動作もしっかり身につけられる点で、少年時代のソフトボールはいいのかもしれません」と推測してくれた。

塁間が近く、肩やひじを痛めにくい。スピード感もある。鹿児島では小学生でソフトボールをし、中学から野球を始めるケースが多い。高いマウンドが不要で、狭い範囲でできるソフトボールは県全域で愛されてきた。少年大会も最盛期では全県230チームが参加する規模だったという。

その中でも、なぜ大崎町はここまで輩出率が高いのか。30年以上前に郷土初のプロ野球選手になった巨人内田スカウトは「熱の入れようが違う」と証言する。「私は小3で大崎に引っ越したんです。それまで住んでいた町はソフトボールが盛んという感じじゃなかった」。白球を手にしたのは大崎で暮らし始めてからだった。

放課後はいつも校庭でソフトボール。みんなソフトボール。「地区内での対抗戦とかもあってね。とにかく子どもも親もみんなソフトボールに熱心でした」と懐かしむ。畑作が盛んなシラス台地の町で、子どもたちは日が暮れるまで校庭を駆け回っていた。内田スカウトは最後にもう1度「大崎は熱の入れようが違った」と繰り返した。

当事者3人の証言から現時点で判断すると、大崎町の秘密の一端はソフトボールにあり。ただ、それだけではないだろう。「なぜ岩手から剛腕が?」と合わせ、もう少し調べてみたい。【金子真仁】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)