大いなる成長を示す大山悠輔の一撃だった。同い年の藤浪晋太郎に白星がつけばベストだったが、次に託したい。そしてこの試合で決定したことがある。藤川球児は250セーブを達成できない、ということだ。

阪神は残り4試合。阪神で243セーブ、カブスで2セーブ、合わせて245セーブの球児は仮に残りすべてで投げ、セーブをマークしても250には届かない。もっとも球児は引退会見で記録にはこだわっていないことを強調していた。

「もっと大きな財産をいただいた。僕は勝ち負けにしか興味がない。阪神で巨人に勝ちたいんです。自己記録を追い求めるって、そんなに甘くない」。そんな趣旨の話だった。

その様子を見て、思い出したのはオリックス時代に交わしたイチローとの会話だった。記録つながりで書けばプロ野球歴代の年間最高打率は阪神バースが持つ3割8分9厘である。「史上最強の助っ人」として2年連続3冠王に輝いた86年にマークしている。

プロ野球史上初となる年間210安打を放った94年、イチローはバースが持つその打率を超える可能性が非常に高かった。バースを上回る打率で数試合を残していたからだ。すでに西武が優勝、イチローも目標だった史上初の200安打を達成していた。

こういう場合、記録を優先すれば試合を休むこともあり得る。首位打者争いの場合などもそうだ。もし、その時点でバースを抜こうと思えば可能だった。雑談でそんなことを問い掛けたときイチローはキッパリと言ったものだ。

「なんで、そんなことをしなくちゃいけないんですか?」。言葉通り、イチローはシーズンを完走。打率3割8分5厘に落としてしまい、バースを抜くことはできなかった。しかしイチローにとって初めて世に出たシーズン。最後まで全力で走り切りたかった。その姿勢がのちに日米球界でレジェンドになることにつながったと信じている。

球児の心の底に流れる考えも同じだと思う。記録にこだわって現役続行の道もあったかもしれないがそれは選ばず、引退を決めた。もちろん余力を残して辞めるか、灰になるまでプレーするかは人それぞれだ。ハッキリしているのは球児はそのすがすがしい幕引きで「火の玉ストレート」の代名詞とともに虎党、野球ファンの記憶に長く残るということだ。(敬称略)【高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「虎だ虎だ虎になれ!」)

阪神対中日 9回2死から登板した藤川(撮影・上田博志)=2020年10月28日、甲子園球場
阪神対中日 9回2死から登板した藤川(撮影・上田博志)=2020年10月28日、甲子園球場