金足農、継承した「うちは甲子園に出たら強いよ」

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<カナノウを語ろう(1)>

 カナノウを語ろう! 高校野球100回大会決勝は、金足農(秋田)が大阪桐蔭に2-13で敗れ準優勝に終わりました。それでも、この夏に吹き荒れた「カナノウ旋風」は1つの社会現象にもなりました。これまで日刊スポーツも、昭和の時代からカナノウ野球を取材し続けています。そこで、過去の担当記者に当時の思い出を語ってもらいました。今日から連載でお届けします。

   ◇   ◇

 25年前…93年の手帳を見ると、6月30日に「3:30 金足農」と書いてある。私が初めて同校を取材した日だ。この時の3年生に、今大会活躍した吉田輝星投手(3年)の父正樹さん、菅原天空内野手(3年)の父で現在コーチの天城さん(ともに42)がいたことになる。菅原父も1番打者として活躍しており、大会中も取材した覚えがある。

 元気がいいチームだった。練習は厳しく緊張感に満ちている。だが、休憩時間になると選手たちが寄ってきて、質問せずともチーム内情や裏話、悩みまで聞かせてくれた。取材に苦心する新人記者にはオアシスで、足を運ぶ機会が増えた。嶋崎監督も笑顔で迎えてくれ、なぜかいつもリポビタンDをくれた。それを飲みながら猛練習を見つめた。

 徹底した送りバントやスクイズについて聞いたとき、嶋崎監督は「雑草が天才に勝つためだ」と言葉少なに答えた。天才とは、84年に決勝進出を阻まれた桑田や清原らを指すと感じた。彼らに敗れた後、雪の田沢湖を走り込む合宿を始めている。大舞台で活躍できる心と体を鍛えるためだった。甲子園に出るだけではない。そこで勝つことを明確な目標に掲げていた。実際、95年に甲子園出場を決めた時、嶋崎監督は「うちは甲子園に出たら強いよ」と明言し、8強入りを果たした。

 中泉監督の采配を見ると、その点は継承してきたと感じる。だから、今回の躍進を「勢い」や「偶然」とは思わない。先輩たちが流してきた汗と涙が実を結んだ。そして、また後輩たちが日本一を目指してくれるだろう。【93~96年秋田担当・飯島智則】

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