女満別最後の夏1回戦は紋別戦、来春統合で名前消滅

  • 女満別として最後の夏に挑む北井主将(左)と斉藤(撮影・浅水友輝)
  • 女満別として最後の夏に挑む北井主将(奥)と斉藤(撮影・浅水友輝)
  • 北見地区では連合チーム同士が合同練習をして夏の舞台を目指している(撮影・浅水友輝)

夏季北海道高校野球大会北見地区の組み合わせが2日、決まった。

12年に21世紀枠でセンバツに出場した女満別は、来春から東藻琴と統合し町立移管の新設校となり名前が消える。今大会は斜里と連合で出場し、1回戦で紋別と対戦する。祖父母が野球部員が暮らす寄宿舎の管理人を務める斉藤隼斗外野手、主将の北井晴紀内野手(ともに3年)が、憧れのユニホームで戦う最後の夏に挑む。

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1500人の町民と一緒にアルプススタンドで声援を送った。8年前に聖地で部員19人、オホーツクの小さな学校を応援していた球児が、憧れた女満別のユニホームを着て戦う最後の夏を迎える。斉藤は言う。「緊張しますね、本当に最後。今までやってきたものを出したい」。1回戦は紋別と対戦する。目標は1つでも多く勝ち続けることだ。

12年春。身近に暮らしていたお兄さんたちが町の話題の中心だった。小学3年、野球を始めたばかりの斉藤には甲子園がどんな場所だったか、記憶はおぼろげだが「本当に盛り上がっていた。すごい場所で戦っているんだなと思った」。幼いころから祖父母の大和田耕二さん(66)敦子さん(62)が管理人を務めた寄宿舎で、野球部員と毎日夜遅くまで過ごした。「隼斗、隼斗ってかわいがられた」。一緒に風呂に入り、朝昼900グラムの米を平らげる先輩たちの鍛え抜かれた体が目に焼き付いた。

時は流れた。たった8年。町の人口は8000人から7000人に減り、1、2年だけで132人いた生徒数は3学年で33人。甲子園で指揮した鈴木収監督も5年前に転任した。それでも息づく伝統はある。校舎前の押しボタン式信号機が設置されている横断歩道。野球部員は今でもボタンを押して通行し終えると、振り返って一礼する。北井は「礼儀とかあいさつとか、地域に愛されている野球部のように自分も当たり前のことができる人になりたい」。少人数と知りながらも斉藤と同じく憧れて女満別に進学した。

大会があれば今でも部員の家族だけでなく、町民が応援に大挙する。女満別が根付かせた野球熱は、確実に残っている。北井は「悔いは残したくない。笑って終わりたい」。チームスローガンは今でも「元気 前向き ありがとう」。応援し続けてくれる町の思いも背負い、精いっぱいのプレーで歴史を完結させる。【浅水友輝】

◆女満別の甲子園 11年の秋季全道で、1回戦で函館工を下し16強入り。翌年センバツに02年鵡川以来の21世紀枠に選出され出場した。甲子園では1回戦で、後に楽天入りする大塚尚仁(3年)を擁する九州学院(熊本)と対戦。145キロ右腕のエース二階堂誠治(3年)が10三振を奪う好投も、12安打6失点を喫した。打線も大塚に散髪6安打に抑えられ、0-6で北見勢初の甲子園勝利をならなかった。