大会屈指のスラッガー、高松商・浅野翔吾外野手(3年)が、負けて伝説を作った。大会NO・1右腕の近江・山田陽翔(3年)から146キロ速球をライナーでバックスクリーンに突き刺し、大会3本目、高校通算67号となる同点2ラン。7回表1死一、二塁では、なんと申告故意四球を受けた。4強進出はならなかったが、最も甲子園を沸かせた怪物の「原点」を父が明かした。

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身長170センチで、85センチの長尺バットを操る。そんな浅野の原点を、最初に野球を教えた父幹司さん(53)が明かした。

「今とは全然違いますが、最初に教えたのは私の好きな型でした。原さんです」。巨人原辰徳監督だ。

東海大相模、東海大を経て、巨人の4番を張った打撃フォームが、幹司さんの理想型だった。「まずトップの位置を決める」と左肩の上にあごが来る構えをジェスチャー付きで説明。「トップからミートまで距離がないと球は飛ばんよ、と教えましたけど、飛ばす能力は教えられるもんじゃないんで、持っとったんかもしれませんね」。

今は小柄な浅野だが、小学校まではクラスで1番背が高かったらしい。「早熟ですね。筋トレは“背が止まるから”とさせずにいたけど…伸びませんでしたね」と苦笑いだった。【加藤裕一】