巨人原辰徳監督(57)が19日、東京・大手町の読売新聞東京本社で退任会見を行った。

 原監督、白石オーナー、久保社長が出席。17日のヤクルトとのCSファイナルステージ(神宮)に敗戦後、桃井会長に辞任の意向を伝え、選手、関係者にも自身の口で伝えた。この日、渡辺恒雄最高顧問と白石オーナーに直接伝え、受諾された。

 通算12年でリーグ優勝7度、日本一に3度導いた名将が、正式にユニホームを脱ぐことが決まった。

 報道陣110人を前に、原監督が報道陣との質疑応答に応じた。主な内容は以下の通り。

 -印象に残っている勝利と痛恨の敗戦

 原監督 「こうだったね」と言われると、ひと項目に5分ぐらい話せる。一喜一憂したゲームが多すぎて思い浮かばない。たくさんありすぎますね。

 -現役引退時に「夢の続き」と表現されていたが、それは達成できた

 原監督 22歳で東海大学から(巨人に)指名してもらって、15年現役をやって、37歳。青春まっただ中、「私の夢には続きがあります」と心底思いました。当時の夢というのがコーチになって監督になって、そういうのがあったと思うが、言葉に出していなかった。そんな中、15年間、選手と同じぐらい、コーチ、監督をやれたというのは感謝。自分には夢の続きがあった、全うすることができたということには満足しています。現状、37歳当時の「夢の続きがあります」と、素直には出てきません。57歳。会社に入っていれば、あと数年で定年です。あんまり37歳当時の強い言葉は出てきません。少しの時間フラットにして、また何かそういうものが出てくるのかなと。もし報告できるチャンスがあれば報告したい。心の中では、凪の状態です。

 -家族に報告

 原監督 それとなく伝えておりました。正式に桃井会長の方にゲームが終了して伝えました。月曜日(19日)に主筆、オーナーに最終的にお話をしにいくと。おやじさん(故・父貢氏)はまだ話をできていなくて、一方的にこうなりますのでまたお願いしますという感じですね。お墓も近いですし、歌には「お墓にはいない」というのもありますけど、私の中ではいるんですね。ちょくちょく行かせてもらって、神宮で行われた第1戦(14日)の時も行っています。

 -完全燃焼できた

 原監督 できたと思います。近々、私がどこかの監督とかコーチをやるということは今のところないです。

 -次の監督へ助言

 原監督 私も多少の時間の中で巨人軍の監督をやらせていただいたので、後はいい形で引き継ぐのが大きな仕事。主筆、オーナーとも、次の監督さんは、という話をしたが、まだ白紙ということではないけど、決まっておりません。私が長嶋さんにしていただいたように、いい形で引き継ぐのは次期監督さんの成功、ジャイアンツの隆盛につながっていくと思っています。

 -原監督にとって、巨人とはどんな存在

 原監督 ずっとジャイアンツに憧れて野球を始めて、夢が現実となり、22歳で入団して15年、そしてコーチ、監督として15年。もう感謝しかないですね。すべてですね。ジャイアンツを通じていろんなことを学ばせてもらった。人との出会いであったり、本を読んだり、人と勉強会をしたり、すべてジャイアンツがあったからそうした。すべてですね。

 -監督をして学んだこと

 原監督 我慢ですね。我慢は人を成長させ、周りを成長させる。今後も短気にならず、周りに感謝しながら。時に我慢というものは人を育て、周りを育て、自分を育てるということを頭の真ん中において、一社会人として生きていきたい。