DeNA三浦大輔投手(42)が20日、横浜市内のホテルで会見を行い、今季限りで現役を引退することを発表した。会見の様子は以下の通り。
-率直な今の気持ちは
いろいろ考えて考えて、決断してからも伝えられなかった方にも、今日こういう場で伝えられて、ちょっとスッキリしてます。
-決断の理由は
勝てなくなったからです。引退という文字は今年だけでなく、数年前から頭にありました。まだできるという気持ちはどこかにあるんですが、どこかでケジメをつけないといけない。時期は今年の8月ですね。7月の今季初登板で打たれて、8月まで声がかからなかった。その時には、ほぼ気持ちは固まっていました。8月まで勝てなかったということが僕の中では大きかったです。自分で決めないといけない中で、甘えたらいけないなと。いろんな葛藤がありましたけど、悩んで悩んで、勝てなかったらやめるという単純なことですよね。最終的には、そこにたどりつきました。
-誰かに相談は
もちろん家族には相談をしました。ただ、最終的には自分で決めました。
-夫人の反応は
残念がってましたね。女房も、子供も。でも、プロの世界は厳しいですから。この間の甲子園で、わざわざ大阪まで見に来てくれました。その前で投げられたのはよかったです。
-チームメートにはどういった言葉を
「引退します」と伝えた後、途中から自分で何を言っているか分からなくなって。でも、ホントですか? まだやめないでくださいと言ってもらった。今日、グラウンドで練習したときにも言われましたからね。うれしかったです。
-長く現役を続けてきた。支えになったものは
プロに入った時には、まさか25年もやると思っていませんでしたし、本当に1年1年が勝負だと思ってやってきました。打たれたら悔しい、勝ちたい、という気持ちがあったから苦しい練習もできました。そして試合で勝った時にたくさんのファンが喜んでくれた。それが一番うれしかったですね。あの場所にもう1度立って、一緒に喜びたい。負けたら悔しいから、もっと練習するしかないと思ってやってきた25年でした。
-一番の思い出は
1つに絞れないですけど、98年の優勝です。全てが報われたというか、1年間の苦しいことが吹き飛んだというか。これだけうれしいものかと。最高でした。
-今のチームについて
やっぱり、苦しいときがあったからこそ、今のハマスタ、ベイスターズを見ているとうれしいですね。いいチームになってきた。昨日の広島戦もそうです。何年か前は、あれだけのお客さんが入ることはありませんでした。ふと三塁側を見ると真っ赤に染まっていて、バックネット、一塁側、ライトスタンドは青に、ブルーに染まっていた。満員の中でプレーできるのは、プロ野球選手にとって最高のこと。何年か前はスタンドがガラガラで、苦しい時期もありました。僕1人ではできなかったことですけど、FAで残る時に、横浜をいいチームにしたいと思った。小さな力でしたけど、横浜がどんどん変わっていくのを見てきた。本当にうれしく思っています。
-FA当時の思いは
本当に、悩んで悩んで、いろんな方にご迷惑をおかけしました。ただ、150勝したときにも言いましたけど、横浜に残ってよかったと思ってます。たくさんのファンの方が支えて、喜んでくれて。三浦大輔は本当に幸せ者だと思います。
-最も印象に残る勝ち星は
どれもうれしいですけど、150勝の時は僕以上にファンの方が喜んでくれた。それを見てよかったなと。すごく印象に、思い出に残っています。
-現役最後の登板は、どんなピッチングを
勝ちたいです。それだけです。
-25年、どんな野球人生だったか
高校を卒業して、6位で大洋ホエールズに入って。特に球が速いわけでも、すごい変化球があるわけでもなく、よくやってこられたなと思いますね。球が速くなくてもプロ野球選手はできるんだというところを見せたかった。勝ったり負けたりで、負けの方が多かったですけど、周りの方に支えられてここまで突っ走ってこられたなと。感謝の気持ちでいっぱいです。
-リーゼントは
卒業しません。このままです。できる限り、やり続けたいと思います。
-リーゼントに込めた思いとは
単純にこの髪形が好きなだけです。プロに入った時に何十人という投手がいる中で、目立ちたい、見てほしいという思いがありました。注目されないと使ってもらえないので。もちろんプレーが最初ですが、それ以外でも注目してほしいと思って、こだわってやってきましたけどね。その代わり、野球に対してはちゃんとやるぞという思いを持ってやってきました。
-将来、監督には
将来的には指導者の夢もありますけど、もっともっと勉強しないといけないなと思っています。将来的にはまた横浜に戻ってきたいと思います。
(会見2につづく)