サイン色紙の一文に、今の「男」の心境が表れていた。巨人を自由契約となった村田修一内野手(36)が26日、「神奈川県立こども医療センター」を訪問。06年に長男閏哉君(11)が超低出生体重児で誕生して治療を受けたことを契機に1安打につき1万円の「ささえるん打基金」を設立。10回目の今年は100安打分の100万円を贈呈した。

 色紙を手に新生児病棟へ向かった。家族に言葉を掛け、記念撮影。35人の子どもたちに手渡したサインの横には、所属球団名の代わりに、こう記されていた。

 “共に頑張ろう”

 11年前も同じ心境だった。横浜(現DeNA)時代の06年2月7日、閏哉君が712グラムの超低出生体重児として誕生。駆けつけたい思いを押し殺し、キャンプ地にとどまった。父として、夫として、頑張ることが家族のため-。言い聞かせてバットを振り、その年34本塁打。誕生6日後に腸に穴があいて大量出血するなど「生存率1割」といわれた苦境を乗り越え、長距離砲へと飛躍を遂げた。

 家族で訪れた原点の場所で、当時が脳裏に浮かんだ。「子どもさんと話すとパワーになるし、長男の昔を思い出すとまた頑張らないと、とスイッチが入った」。閏哉君と次男凰晟(こうせい)君(8)が小学校で友人に「(村田は)どこに行くの」と聞かれることは、胸が痛む。それでも「本当に苦労を掛けてる。でも家族が笑顔で迎えてくれる。家族は必要と言ってくれるので父親として仕事もしないといけない」と顔を上げた。年明けから他球団のテストを含めたオファーに備え練習を本格化させる。「野球を続けたい。待ちの態勢は取りますけどリミットは決める。その時は(オファーがなければ)やめる形になる」と腹を決めた。

 活動は来年以降も続けたい意向だ。「病院と世の中の方々の懸け橋にいつまでもなれれば。病院からやめてくれって言われたらやめますけど」と笑った。ちゃめっ気たっぷりなこの笑顔を、来年もユニホーム姿で見たい。【浜本卓也】