楽天の新入団選手10人が15日、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城・名取市の閖上(ゆりあげ)地区を訪れた。

ドラフト1位辰己涼介外野手(22=立命大)は、本年度開校したばかりの義務教育学校「閖上小中学校」で八森伸校長の説明を受けながら、津波の映像を見て息をのんだ。「自然の力はここまですごいのかと。ちょっと言葉にできない」。真新しい校舎には、地震発生時刻の午後2時46分で止まったままの時計、津波で水につかった跡がくっきりと残るピアノなど、当時の閖上中にあったものも展示されている。痛ましい記憶を目に焼き付けた。

阪神・淡路大震災が起きた翌96年に神戸で生まれた。「僕は経験していないけど、仮設住宅で暮らす方や僕が住む山の方へ引っ越してきた方もいた。小さい頃から(復興を願って神戸で歌い継がれている)歌も歌ったり、どんな災害だったのか教わりながら生きてきた」。その上で、楽天でプロ野球選手としてスタートを切ることを「縁」と表現する。「何かの縁があって、東北唯一のプロ野球チームに入団することになった。自分のために野球をすることはもちろんですけど、やっぱり人のために、勇気づける野球というのも大事。自分のはつらつとしたプレーを見て、生きる活力にしてもらえれば」と言った。

西日本豪雨で大きな被害が出た岡山県出身のドラフト3位引地秀一郎投手(18=倉敷商)も「震災からもうすぐ8年ですけど、まだまだ爪痕が残っているんだと感じました」と神妙に話す。911人が命を落とした名取市にあって、うち750人が閖上地区だったとされている。現在も40人が行方不明。地区全体を3メートルかさ上げし、学校周辺に建てられた災害公営住宅への入居も始まっているが、復興は道半ばだ。

亡くなった閖上中の生徒の中には当時2年生だった野球部のエースが含まれていると聞き、一層表情は曇った。「自分も中学の(軟式)野球部出身。(亡くなった生徒は)3年生になった時、野球部を全国に連れていくような選手だったと聞きました。もしかしたら、震災がなければプロ野球選手になっていたかもしれない。そういった人の分まで、プロになれた自分が頑張っていきたい」と誓っていた。【亀山泰宏】