昨オフに大腸がんを患いながら病を乗り越えた阪神原口文仁捕手(27)が24日、西宮市内の球団事務所で会見を行い、闘病の経緯や詳細を公表した。「皆さん(報道陣)を通じて少しでも力になれるように、と思って、今この立場を借りて発信していきたいと思っています」と意図を説明して始まった会見を1部、2部に分けてお届けする。

主な内容は以下の通り。

原口 (自ら今季を振り返り)病気を宣告された日が1月8日の人間ドックを個人で受けた日でした。すぐ先生に隣の部屋に呼ばれて、「がん」だということを宣告されました。そのときはすごく驚いたのと、頭が真っ白というのはありました。でもそこからの自分の気持ちは例年と変わりなく、野球の自主トレをして、キャンプに行くくらいのつもりで練習もしていました。少し落ち込む時期はありましたけど、すぐに前向きになって練習を再開しました。発表した日が1月24日、26日には手術でした。そこから1週間入院し、退院となりました。

(病気のステージについて)見つかったときは先生も早期発見ではないか、という話だったのですが、術後の検査などでステージは「3B」というのを手術後に先生に伝えてもらいました。そこまで進んでいるとは思ってなかったみたいで僕自身も驚きでした。そこまで進んでいたので抗がん剤の方もスタートしないといけないという話になって。先生の方からも野球をやりながらでも治療ができるようにということで、錠剤の抗がん剤を、退院してから、2月6日からスタートして7月9日まで。その日はちょうど(球宴の)プラスワンの発表日に重なっていて、ダブルでうれしかった。治療のひと区切りだったのと、プラスワンでの発表もしていただいたので。そのときはみなさんに言えなかったですけどそういう気持ちはありました。

(抗がん剤治療の話におよび)4週間飲んで2週間休むというサイクルを計4回。それで半年続けたという感じでした。そのときも体調はすぐれない日もありながら首脳陣やトレーナーの方に練習内容に配慮いただいて、ゲームで万全にプレーができるような環境を作っていただいたのでそこは本当に感謝しかないです。そういうサポートしてくれた人々のおかげで1年間シーズンを戦い抜けたことはすごくありがたかった。

-副作用もあったかと思うが

原口 気持ち悪くなるとか吐き気とかは比較的僕は出なかった。飲む前に先生からは人によるからどんな症状が出るかは分からないと言われていたけど、僕の場合はそこまではっきりとは出なかった。でも食べ物の方でアレルギーとかはなかったんですけど、そういう体質の変化というのはリハビリ中からでできました。食べるものとかに気をつけながらの1年間だったと思います。

-抗がん剤治療しながらのプレー

原口 先生が背中を押してくれて、体調に問題なかったら好きな野球どれだけやっても問題ないよと言ってくれたので、そこから薬は飲んでましたが自分の体調と1軍で活躍するための技術というか戦力にもっていければ全く問題ないと言ってもらったので、1軍で活躍できて良かったですね。

-ステージが分かったのは

原口 入院中です。家族を呼んでいただいて検査結果と今後の治療方法を話し合いしました。

-検査結果を聞いてからの気持ちの負担は

原口 先生を信頼していたので自分に大丈夫と言い聞かせていました。

-再発の不安は

原口 5年経過観察して完治と言われたので、まずは自分の体調を見ながら5年間しっかり定期検査を行いながらやっていかないといけないところ。球団にもサポートしてもらってるので、本当にいい環境で野球をやらせてもらっているなと思ってます。

-抗がん剤の他に取り組んだ治療は

原口 特にはないのですが、体を手術しているので体に手入れする時間はすごくかかって、いくつかのところに通いながらサポートしてもらって。そういうサポートがなかったらあれだけ早く復帰できるというのは到底あり得ないことで、本当に僕の力だけでなくトレーナーさん、病院の関係者、治療科の先生方の力はすごく大きいと感じているのですごく感謝している。