広島の監督として「赤ヘル軍団」の黄金期を築いた古葉竹識(こば・たけし)さんが、12日に心不全で亡くなっていたことが16日、分かった。長男千雄さんが球団を通じて発表した。85歳だった。葬儀、告別式はすでに近親者のみで執り行われた。

現役時代には俊足巧打の内野手として活躍。引退後は、広島で4度のリーグ優勝、3度の日本一を達成。大洋や東京国際大野球部でも指揮を執った。名将が惜しまれながら、この世を去った。日刊スポーツ評論家の谷繫元信氏が訃報にコメントを寄せた。

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古葉さんには大洋(現DeNA)監督時代の最後のドラフト(88年)で指名していただきました。通算3021試合出場のプロ野球記録も、1年目の80試合出場があったからと言える。私も後に監督を務めたからこそ感じるが、勝負のかかった(大洋)監督の3年目で、なかなか高卒ルーキーの捕手を起用できない。

開幕後に主力だった若菜(嘉晴)さんをトレードに出されたが、それがなければ4番手以降で出番もあまりなかったかもしれない。かつては、とても怖い監督だったとは聞いていたが、怒られた記憶もない。結果的に監督としての最後の1年となったが、ずっと温かく見守っていただきました。

監督を退任された後も、私が中日に移籍した時、引退を決めた時など節目の時は連絡を入れました。諭されるようなことはなく「ようやったなぁ」と言葉をかけてくれた。最後に話をしたのは中日監督を退任した時の報告となったが「シゲよ。まだ若いから、先があるんだから、しっかり勉強をしろよ」と言われたのを思い起こします。

実家に古葉さんのサインが今でも飾られています。父親が入団時にいただき「耐えて勝つ」という座右の銘が書かれている。実家に帰って、それを目にすると、いつも頭の中に古葉さんの教えを思い浮かべていた。プロ野球人生の生みの親でした。心より、ご冥福をお祈りいたします。(日刊スポーツ評論家)