西武ドラフト1位の蛭間拓哉外野手(22=早大)が、先輩からプロ初本塁打を放った。

2回2死一、二塁、早大の2学年上となる楽天早川隆久投手(24)から右翼ポール際へ先制の決勝3ラン。23日同戦でのプロ初先発初出場から9打席目での快音が起爆剤となり、チームは今季2度目の先発全員安打で初の同一カード3連勝。今季最長タイとなる4連勝を飾った。

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記念すべき第1号を先輩から決めた。蛭間は2回2死一、二塁、早川の真ん中高め146キロ直球を捉えると、滞空時間の長い放物線が右翼ポール際に着弾。日焼けした肌に白い歯を輝かせてダイヤモンドを周回し「まさか早川さんから打てると思っていなかった。何とか次につなごうという意識で。それでホームランになったのでよかった」と素直に喜んだ。

敵地で上がったプロ初のお立ち台。「大学の時はコテンパンにやられたので。プロになって対戦して、打てるようになった。これからも早川さんはじめとする先輩方、打てるように頑張りたいと思います」と力強く宣言した。早大時代の早川はエースで主将の絶対的存在。自身が2年秋の東京6大学リーグ最終盤の早慶戦で、9回に逆転2ランを放ち、早川がリリーフで優勝を決めた思い出もある。当時はシート打撃などで対戦しても「1回も打てたことなかったです。ほとんど三振」と振り返る。

明るく元気な若獅子は、地道に努力を重ねてきた。「常に結果を出さなきゃいけない世界ですし。野球が楽しいと感じたことはあんまり。大学時代、高校時代もそうでしたけど、やっぱ職業なんで。それなりに結果が必要なので」。たゆまぬ努力を続けられたのも「夢だったり目標があるからですかね」と言う。「ドラ1」の金看板にも自分を見失うことはない。「その実力は自分にはないって指名された時から思っていた。とにかく周りは周りで自分は自分。同級生とかが活躍しても自分は自分というのを変えずにやっていこうと思いました」と誓う。

開幕から3カ月で芽を出した期待のドラ1。大事なホームランボールは「両親に渡したいと思います」とニッコリ。大目標の通算2000安打まで“残り1998本”とし、「積み重ねて頑張りたいと思います」と先を見据えた。【鈴木正章】

<蛭間拓哉(ひるま・たくや)>

◆生まれ 2000年(平12)9月8日生まれ、群馬県桐生市出身。

◆球歴 小学6年時にライオンズジュニアに所属。浦和学院では主将として渡辺勇太朗(現西武)らと3年夏の甲子園に出場し、8強進出。早大では3年春にベストナイン。22年ハーレム・ベースボール・ウイークで大学日本代表。

◆バット 大学時代はミズノ社の長さ84・5センチ、重さ860~870グラムのDeNA宮崎モデルを使用。プロ入り後に一時はヤクルト村上モデルも試したが、現在は大学時代のモデルを使用する。

◆サウナー サウナ好きで3セットをこなして「追い込む」ことも。1人でいくこともあれば、同期のドラフト4位青山を誘うことも。最近は「前に比べれば入ってないです」。

◆2軍戦 イースタン・リーグでは40試合で打率2割9分7厘、2本塁打、22打点。3盗塁もマーク。

◆サイズ・投打 177センチ、87キロ。左投げ左打ち。

◆年俸 推定1600万円。

▽西武松井監督(蛭間のプロ1号に)「選球眼はいいと思うので、その中で待望の1発だったと思います。まず「1」がついたということが、次「2」になってくるでしょうし、ほんとにナイスバッティング」

◆20年11月8日の早慶戦VTR 東京6大学野球秋季リーグ戦の最終週、早大対慶大の第2戦。両チームともに優勝の可能性を残し、早大が勝つか引き分けで10季ぶり46回目の優勝が決まる一戦だった。早大は1点を追う8回2死一、二塁で、前日完投した主将・早川が登板。左飛でピンチをしのいだ。直後の9回2死一塁で、2年生の蛭間がバックスクリーンへ逆転2ラン。9回裏を早川が無失点で切り抜け、優勝を決めた。劇的な勝利に、早川や小宮山悟監督は涙を流し、歓喜に浸った。

○…4番渡部が3号2ランで貴重な追加点をもたらした。3-0の3回無死一塁、楽天早川の高め145キロ直球を左翼席中段へ。蛭間の2学年上、20年ドラフト1位入団の愛称「ベッケン」は、「打った瞬間行ったな~、と思いました。蛭間が打ったので自分も打ってやると思って打席に入りました。打てて良かったです」と振り返った。

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