今季限りで現役引退を表明している日本ハム木村文紀外野手(35)が、ベルーナドームで有終の美を飾った。新庄剛志監督(51)の粋な計らいで「4番右翼」でスタメン出場。古巣の西武側もビジター選手には異例の登場曲を流すなど粋な演出もあり、4回に訪れた現役最後の打席で左翼線へ二塁打を放った。思い出深い西武の本拠地で試合後には両軍選手らによって5度胴上げされ、17年間の現役生活にピリオドを打った。

   ◇   ◇   ◇

慣れ親しんだベルーナドームで木村が宙を舞った。試合後に両軍選手、首脳陣らがマウンドに集合。その中心に誘われ、5度の胴上げ。最後は西武ファンによる西武時代の応援歌も浴びて、笑顔でプロ野球選手として区切りを付けた。

木村 スッキリしました。ヒットが出て、いい終わり方ができたと思います。

愛あふれる現役最後の試合中は涙があふれていた。新庄監督の粋な計らいで「4番右翼」でスタメン出場。1回の第1打席ではビジターでは流れない登場曲も鳴り響いた。西武側による粋な演出に「ウルウルしちゃいました」と感動した。

3回の守備からは再び新庄監督が木村の涙腺を刺激した。右翼から左翼へ守備位置を変更。左翼へ向かうと06年高校生ドラフト1巡目で投手として入団し、野手転向後も熱い声援を送ってくれた多くの西武ファンがいた。最高の声援を背に守り、4回は現役最後の打席へ。一塁側ベンチも三塁側ベンチも総立ちの中で初球を振り抜き、左翼線への二塁打となった。

その裏、左翼まで走って守備位置に就いたところで新庄監督が交代を告げた。西武中村や松井監督ら全員と握手し、新庄監督とはハグすると涙が止まらなかった。「僕のことを最後、4番で使ってくれてすごい感動しましたし、あとファイターズで全然活躍できなかったなぁってダブルの涙が出てきたっす」と照れながら振り返った。

激動の17年間を振り返って「たくさん教えてもらったことは自分の財産にもなっている。絶対に、この後の人生に生きてくると思うので、生かしていきたい」。第2の人生へ、スタートを切った。【木下大輔】

★日本ハム木村一問一答

-思い出が詰まった球場で現役最後の試合

木村 西武球団の方にも感謝したいです。もちろんファイターズにも、すごく感謝しています。あらためてファンの方の声援は、すごいなと感じました。それで最後もヒットが打てたと思っています。

-試合中の気持ちは?

木村 (森本)稀哲さんが「キムのために逆転するぞ」と言ってくれていた。普段はベンチで声を出すけど、過去のことを振り返っていたら、あっという間に終盤になっていた。いつの間にか、ゲームが終わってました。

-西武、日本ハムで思い出深かったことは?

木村 西武では投手から野手に転向して、いろいろな監督やコーチに支えられました。たくさん練習して1軍で使ってもらって、感謝の気持ちがたくさんあります。ファイターズでは、なかなか1軍で活躍する機会がなかったけど、今年1年間は若い子たちと一緒に野球をやって、自分自身も1軍に上がりたい気持ちでやってきた。いろいろ若い子たちに聞かれることもあって教えたりもした。17年目にして1日1日、新鮮な気持ちでやっていました。

   ◇   ◇

日本ハム新庄監督 木村君17年間、オレも17年間と一緒の期間、プロ野球生活を送って…なんかプレー1つにしても野球選手としてのオーラがある選手だった。彼なら次のステージで、また大きなことをしてくれると思う。ひとまずは、膝と腰と脇腹とか体がちょっとボロボロだったから、ゆっくり休んでもらってね。家族と旅行も行けてなかっただろうし、ゆっくり休んでもらって、また次どこかで会いたい。

西武松井監督 僕も一緒にやらせてもらいましたし、プロ野球生活17年、まずは「本当にお疲れさまです」と本人にも伝えました。長打も打てる、肩もある。ライオンズにとっては大きな選手でしたし、こうして最後、このようなセレモニーをして、ライオンズファンのみなさんにも愛されているなと感じましたね。

西武佐藤龍 僕もキムさん(木村)もライオンズが大好きだったので、(21年8月にはトレードで)2人とも寂しい気持ちでファイターズに行って…。腐りそうになったこともあったが、キムさんが時に優しく時に厳しく接してくれたおかげで今の自分がある。(2回に三塁ベース上で)頑張れよと言ってもらえて、僕は涙をこらえるのに必死でした。

西武渡辺 試合前に「普通に勝負しよう」と木村さんから言っていただいたので、本当に2打席目、普通に抑えにいったんですけど、普通に打たれた。やっぱり甘い球をしっかり1球で仕留める木村さん、本当さすがだなと思いました。