西武中熊大智捕手(27)が現役引退することが11日、明らかになった。来季から球団スタッフになる。
プロ5年目の今季は「打てる捕手」と期待されA班(1軍)キャンプでのスタートになったものの、右肘を痛め、5月には手術。シーズン終盤に3軍戦で実戦復帰したが、10月31日に戦力外通告を受けていた。
九州学院(熊本)から徳山大を経て、18年育成ドラフト3位で西武に入団。21年オフ。3年間で支配下契約を勝ち取れなかったものの「もう1年」の打診を受けた。悩んだ。
「いろいろ考えました。やめたほうがいいのかなとか。高卒3年と大卒3年じゃ全然違うと思うんで。5日間くらい、返事を待っていただいて」
友人たちからの「どんな形であろうと、育成でも応援したい」に背中を押されて選んだ育成4年目に、ついに支配下になれた。
「ちゃんと長ズボンと、通勤の私服で来て」
そう呼ばれた部屋に、渡辺GMらがいた。念願の2ケタ背番号「64」を手に入れた。
22年7月20日、ロッテ戦(ZOZOマリン)で代打としてデビューした。
「3年半かかって、打席にネクストから向かっている時に、やっと来たなって感じでした」
ロッテ東條にどん詰まりの三邪飛に打ち取られた。懐へのスライダー。「シュッと来て、ああいう形になって。僕の未熟さですけど、悔しかったです。めちゃくちゃ」。それがプロ最後の打席でもあった。
今後はファームブルペン捕手兼ファーム用具補佐、としてチームを支える。「僕自身は実績もないので、伝えられることがあるか分かりませんが、相談を受けた時は自分なりにしっかり応えていきたいです」と、持ち前の人なつこさでも支えていく。
支えられたから。
支配下選手になった時、大学時代からの友人から「ユニホーム、見たい」と頼まれた。送った。
コロナ禍での規制も緩まり、ようやく友人たちと食事できる機会があった。「プレゼント」と言われた。「何くれるんだろう?」と思った。
64番のユニホームに皆が寄せ書きしてくれていた。「ケーキとかでも良かったんだけど、形に残るほうがいいかなと思って。部屋に飾ってほしい」。そんな言葉とともに返された。
「みんなふざけて、いつもちょけてるんで。でも本当にうれしかったです。けっこう、宝物ですね」
NPBの公式記録として残るのは通算1打席。それでも中熊大智は、大切な人たちのヒーローだった。【金子真仁】