阪神原口文仁内野手(31)が23日、19年1月に手術を受けた大腸がんが「完治」したことを明かした。手術から5年間経過して再発がなく、不屈の精神でうれしい節目を迎えた。

自身のX(旧ツイッター)を更新したこの日、日刊スポーツの取材で胸中を激白。周囲への感謝、病と闘う人々へのメッセージ、そして球団史上初の連覇を目指す今季への思いを熱く語った。

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どれだけの恐怖や不安に打ち勝ってきたのだろう。原口が大病との闘いに一区切りをつけた。自身のXで「今朝、最後の診察を終え、2019年1月に手術を受けた大腸がんが『完治』を迎えたと告げられました。皆様からの温かいご声援と、関係者の方々の支えのおかげで歩むことができた5年間です。本当にありがとうございました。家族と過ごせる、野球ができる毎日に感謝をしながら、今年も全力でプレーします!」(原文ママ)とつづった。

午前9時30分ごろから診察を受けた。家族にもLINEを入れると「よかったね!」と返ってきた。日刊スポーツの取材では「ほっとしたなっていうのが一番です」と心境を明かした。

大腸がんの手術から5年経過して再発がなければ、完治したと考えるのが一般的。だが、定期診察のたび、再発の不安は「あった」という。

「毎回、不安な気持ちになっていました。でも、プロ野球選手という立場が後押ししてくれた。大好きな野球ができるということは、何よりも力の源でした」

19年オフには「ステージ3b」(リンパ節への転移があり、5段階で2番目に重い)と公表していたが、白球を追い続けることが良薬になったと感じている。

試合のある日に診察を受けたことも、1度や2度ではない。練習に最初から参加できない場合や、室内だけで調整したこともある。

「球団の皆さんには本当に感謝しています。今日も思ったよりも反響があって、仲間や指導者の方々から連絡をいただきました。幸せ者だなと思いますね」

手術を受けた時は、まだ1歳になっていなかった長女も4月で小学生。「この子が二十歳になる姿を見られないかもしれない」と思ったこともあったという。

「子どもたちが大きくなるということは、自分が年を取るということ。そういう意味では、元気に成長していってくれている姿を間近で見られるだけで、本当に幸せ。何気なく生活してることがありがたいです」

19年1月の公表後、同年6月のロッテ戦で1軍復帰し、代打で適時二塁打を放った姿は多くの人に勇気を届けた。病からの完全復活を自らの「使命」だと言い続けてきた。その気持ちは今も変わらない。

「気持ちが暗くなると病気も良い方向に進まない。今、病気と闘っている方々は、自分の熱中できるものを見つけて前向きに闘ってほしいです。僕も、個人としては去年、貢献できなかった。今年はやり返したい。こうやって良いスタートができたので、連覇に貢献できるよう、良い年にしたいと思います」

「バモス!」の合言葉で日本一を支えた不屈の男。今年もグラウンドで虎党の心を震わせる。【中野椋】

 

◆原口文仁(はらぐち・ふみひと)1992年(平4)3月3日生まれ、埼玉県出身。帝京(東京)から09年ドラフト6位で阪神入団。18年は桧山進次郎に並び代打で球団最多の23安打。19年1月に大腸がん手術を受けたが、復帰後5年間の成績は打率2割6分3厘、8本塁打、51打点。182センチ、93キロ。右投げ右打ち。

 

<阪神原口の闘病経過>

◆がん宣告 19年1月8日に人間ドックを受診。大腸がんと宣告される。

◆手術 同26日に入院し、腹腔(ふくくう)鏡手術。病理検査の結果、ステージ3bと判明。2月2日に退院したが、抗がん剤治療が始まった。

◆2軍で復帰 3月7日、2軍に合流。鳴尾浜室内でトレーニングを始める。

◆昇格即適時打 6月4日に1軍登録。敵地ロッテ戦の9回に代打で左越え適時二塁打。同9日のホーム日本ハム戦では代打で中前にサヨナラ打。お立ち台で「ただいま!」と絶叫。

◆特別賞 11月のセ・パ理事会でリーグ特別賞を受賞。「勇気や希望を与えられるプレーができるように」と決意表明。

◆慈善活動 闘病を契機に小児がん医療ケア施設への訪問や寄付などを実施。21年に闘病生活をつづった著書「ここに立つために」を発売。22年には継続的な社会貢献活動やファンサービスに対する表彰「若林忠志賞」を受賞。

◆完治 24年1月23日、X(旧ツイッター)で大腸がんの完治を報告。

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