甚大な被害をもたらした東日本大震災から13年-。宮城・東松島市出身で楽天ドラフト7位の大内誠弥投手(18=日本ウェルネス宮城)は5歳で被災。以前は楽天から勇気づけられる立場だったが、今季からは地元球団の一員として夢や希望を届ける存在を目指す。

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楽天のルーキー大内は、13年の楽天の日本一に背中を押された1人だ。宮城・東松島市出身。憧れの地元球団のユニホームに袖を通し「被災地出身のプロ野球選手としての使命がある」と、覚悟を決めた。

2011年3月11日午後2時46分、地震発生。5歳だった大内は、近くの矢本二中に避難した。同校が作成した資料によると、当時、校庭は100台ほどの避難してきた車などで埋め尽くされていたという。そこに午後3時40分ごろ、津波が襲来した。真っ黒な水とヘドロ、流れてきた木材などで校舎1階、講堂、武道場は壊滅状態となった。「3階の窓から校庭を見ると、車が洗濯機のように津波でぐるぐる回っていた」。学校に残された生徒、教職員や大内ら避難民は、雪が降る中「カーテンを布団に、机の下で寝た」。震災発生から3、4日を中学校で過ごし、その後、親戚の家まで、船で市街地を進み避難した。「海の上にいるみたいでした」。変わり果てた町を覚えている。

小1で野球を始め、2年生の時に楽天の日本一をテレビで見た。家族みんなで盛り上がり、学校でもみんなが「すごい」と笑顔だった。自身も「野球を頑張ろう」と思えた。昨秋にドラフト7位で指名を受け、プロ野球選手となった。1月20日には同期の新人選手たちと東松島市震災復興伝承館で旧野蒜駅の震災遺構を見学。慰霊碑に献花した後は、犠牲者の名前が刻まれた銘板を眺めた。「これだけの方が亡くなっている災害」と被害の大きさを見つめ「あの時、自分が勇気づけてもらった。今度は返す立場」と誓った。

「子どもたちが元気に野球をやって、それを見て町の皆さんが笑顔になってくれたり、楽天の試合を見に来てもらって笑顔になってもらえれば。それが野球でできる一番の心の復興だと思います」。背番号67。新たな使命を心に刻んだ。【濱本神威】

▽楽天田中和(今季から選手会長。震災後に入団し感じたことに)「震災当時、僕自身は福岡にいたので、ものすごく遠いことだと感じてたんですけど、仙台に来て、いろんなところに行かせていただいて、何げないことが当たり前ではなく、本当にありがたいことなんだなと感じました」

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