ジョーダン・ピール監督の前作は「ゲット・アウト」である。異色のホラー映画だった。白人のガールフレンドの実家を訪れた黒人青年が体験する想像を超えた恐怖。昨年のアカデミー賞で主要4部門にノミネートされ、監督自身が脚本賞を受賞している。

ホラーというジャンルもそうだが、人種差別へのあまりに直球的な表現が他のノミネート作品とは異質に思えた。「にじみ出るような」表現にアートを感じるのが習い性になっているからかもしれない。

ある意味「アメリカ」を強烈に感じさせる作風は、スパイク・リー監督のホラー版といったらいいだろうか。新作「Us アス」(6日公開)にも似た違和感があって、それがこの作品の魅力ともいえる。

今回の作品は「ドッペルゲンガーに対する根深い恐怖心」から生まれたという。

アデレード(ルピタ・ニョンゴ)は夫と2人の子どもと暮らす裕福な黒人だ。子どもの頃、「分身」に出会う不思議な体験をし、今でもそれが悪夢としてよみがえる。夏の休暇で幼少期に住んでいたサンタクルーズのビーチを訪れた彼女の周囲では不気味な出来事が起こるようになる。ある夜、自分たちにそっくりな4人家族が現れて-。

ホラー映画の出来不出来は「予兆」の出し方の巧拙でだいたい分かる。どんなに不気味なモンスターでも、いったん登場してしまえば「慣れ」が恐怖感を和らげてしまう。だから、登場までの時間を緊張感を持ってどこまで引っ張れるかが、その作品の出来栄えに関わってくるように思う。その点、この映画は、前兆→登場→クライマックスの時間配分が良くできている。序盤のあおり、そこに続く、出るか出るかのヒリヒリ感…。ぐいぐい引き込まれる。

おまけに今回のモンスターは「自分の分身」。トリッキーな動きも怖い。そして、彼らが生み出された「真相」への曲折もよく練られている。

前作が人種間差別なら、今回の題材は人種内のそれである。置いて行かれた人々、忘れ去られた人々の思いを「もう1人の自分」たちが代弁する。前作同様、その構図は分かりやすい。

マイケル・ジャクソンやスティーヴィー・ワンダーらが集結して話題になった「USAフォー・アフリカ」の翌86年、米国では「ハンズ・アクロス・アメリカ」と銘打った慈善イベントが開催されたという。600万人以上の人々が手をつなぎ6600キロの全米を横断する試みで、こちらはホームレスら貧困層の救済を行う募金活動だった。

「USA-」が大成功したのに対し、こちらは目標額の半分にも届かなかった。ピール監督はこのイベントを幼少時にテレビで見て「怖かった。なぜだか分からないが」と振り返っている。その理由の分からない不気味な感じがイベント失敗の原因でもあったのだろう。この出来事は映画の中にも引用されていて、テーマと二重写しになっている。

対外的な「USA-」には強い関心が集まった一方で、国内の貧困を対象にした「ハンズ-」にはなぜか冷淡だった80年代半ば。こちらはその事象を頭で理解するしかないが、米国の観客は文字通り体験的に知っている。ピール作品が当たり前のようにアカデミー賞にノミネートされ、こちらはそれに違和感を覚えるゆえんかもしれない。【相原斎】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「映画な生活」)