舞台雑話

ジャニーさんと浅利慶太さん、平和を希求した巨星

ジャニー喜多川さんが7月9日に亡くなり、その4日後の13日には浅利慶太さんの一周忌の会が行われた。

浅利慶太氏の一周忌の会の祭壇(2019年7月13日撮影)
浅利慶太氏の一周忌の会の祭壇(2019年7月13日撮影)

ジャニーさんは日本最大のエンターテインメント集団の「ジャニーズ王国」を作り上げ、浅利さんは劇団四季を日本最大の劇団に育て上げた。カリスマとも言える2人に共通することが2つあった。一つはミュージカル「ウエストサイド物語」との出会いが、活動の原点にあること。そして、幼い頃の戦争体験から、「反戦」「平和」の強い思いを、演出する舞台に込めていたことである。

若き日のジャニーさんが映画「ウエストサイド物語」を見て、エンターテインメント事業に進出することを志し、初代ジャニーズを結成したことは有名な話。04年にはジャニーズ事務所の少年隊東山紀之、錦織一清、嵐櫻井翔、松本潤がそれぞれ主演して「ウエストサイド物語」の連続上演を果たしている。

浅利さんも、開場まもない日生劇場で「ウエストサイド物語」来日公演を行うため、当時の田中角栄大蔵大臣に外貨の特別枠を直訴するなど奔走。その時にいつかは劇団四季で上演するという夢を抱き、1974年に実現した。その時の公演でリフを演じたのは、初代ジャニーズのメンバー飯野おさみだった。その後も四季は川崎麻世らジャニーズOBを「キャッツ」などのミュージカルに出演させてきたし、逆に高田翔らのように子役で「ライオンキング」などに出演し、その後、ジャニーズ入りしたケースも多い。

また、ジャニーさんは戦時中は大阪に住んでいて、空襲が激しくなると、和歌山県に疎開した。そして、大阪の焼け野原も見ている。その体験から、演出した舞台「少年たち」や「ジャニーズ アイランド」で戦争シーンを登場させ、特攻隊の隊員を演じさせたりしている。

浅利さんも、幼い頃に「2・26事件」を目撃し、長野県でつらい疎開生活を経験。終戦で帰った時に東京の惨状を記憶に残している。ミュージカルで戦争3部作を制作・演出したが、「李香蘭」で戦争に翻弄(ほんろう)された歌姫を通して戦争の愚かさ、悲惨さを描き、「異国の丘」はシベリアに抑留された人たちの悲劇であり、「南十字星」は心ならずも処刑されたBC級戦犯の青年を主人公にしている。

ジャニーさんは87歳、浅利さん85歳で亡くなったが、ともに晩年まで、「平和の尊さ」を訴えることに、使命感を持っていた。【林尚之】

華やかな舞台、輝く役者。夢の世界であると同時に、そこには舞台裏とさまざまな人間模様もあります。演劇、演芸について、林尚之記者がさまざまな切り口から伝えます。あなたも、演劇の世界がきっと好きになります。

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