名曲やヒット曲の秘話を紹介する連載「歌っていいな」の第27回は、1988年(昭63)に発売された吉幾三のヒット曲「酒よ」です。切ない思いを胸に抱く男が1人酒を飲む姿に投影した曲。コミックシンガーのイメージ脱却を目指していた吉の才能にほれ込んでいたスタッフの後押しもあって誕生した曲です。

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1977年(昭52)に発売された「俺はぜったいプレスリー」のヒットから約7年間、吉幾三は伸び悩んでいた。レコード会社も転々とした。ギター1本抱えて故郷の青森から16歳で上京。実はその時、東京で支えてくれた姉を交通事故で失った。30歳で結婚したが、妻には苦労をかけ続けていた。下町のスナックで、1人背中を丸めて酒を飲む日々。しかし吉は、諦めてはいなかった。

「俺はぜったいプレスリー」のヒットで、世間では「コミックシンガー」の肩書がいつまでも付きまとっていた。再起を期して、レコード会社は徳間ジャパンに移籍した。同じ東北出身でかわいがってくれた千昌夫のプロデュースで84年に「俺ら東京さ行くだ」を発売し、久々にヒットした。しかし7年前と同様、「コミックシンガー」「一発屋」という認識はさほど変わらなかった。

しかし吉は、家族を置いて上京せざるを得ない人々の思いを「俺はぜったいプレスリー」「俺ら東京さ行くだ」に託して歌っており「コミックソングではなく、メッセージソングだ」とこだわっていた。さらに胸の奥で「本当に歌いたいことをアルバムにできたら」と願っていた。

「俺ら東京さ行くだ」がヒットしたとはいえ、すぐにそんな新アルバムが作れるはずもない。吉のマネジャーを務めていた神秀俊さんは、ダメもとで吉の思いを徳間ジャパンの長谷川喜一ディレクターに訴えた。

長谷川さんは「神君、吉幾三をひと言で言うと何?」と質問した。神さんは「李白です」と即答した。李白は、中国・唐の代表的詩人。おおらかな性格で酒を好み、自由奔放に生きた。酒を好み、酔うと自分がどんな境遇でも、ほかの人にサービスしてしまう吉の気質を李白になぞらえた。創作の才についても、神さんは「吉の前後に吉は出て来ない。李白に劣らない」と本気で信じていた。

長谷川さんは「俺さ東京さ行くだ」でも吉の担当ディレクターを務めたが、実は同曲のカップリング曲「故郷」に感動していた。「僕は吉の本当の才能はコミックソングではないと思っていた。『故郷』は淡々とした歌だったけど、実にリリシズム(叙情詩風)がある。言葉と一緒にメロディーがわいてくる才能は、確かに李白だと思った」と当時を振り返る。

スタッフが総力を挙げた方向転換の1作目が「雪国」だった。この曲の大ヒットで、浮き沈みが激しかったシンガー・ソングライター吉の方向性が完全に決まった。同曲は全日本有線放送大賞(上半期)のグランプリを獲得し、青森県北津軽郡五所川原市に豪邸も建てた。

その後「酒よ」を発表した。夢を追って上京し、妻と共に苦労し、姉を亡くし、涙に暮れ、酒をあおり、そして成功した。「酒よ」には、その思い全てが込められている。

涙有幾想 心有幾傷

日本の音楽史上に残る傑作「酒よ」は、李白に劣らぬ漢詩になっていた。

【特別取材班】


※この記事は97年12月13日付の日刊スポーツに掲載されたものです。一部、加筆修正しました。連載「歌っていいな」は毎週日曜日に配信しています。