今年7月にヘアヌード写真集「歩りえこ1st写真集 スフィア」(撮影・山岸伸)を発売した歩りえこ(40)を“巨乳仕掛け人”こと野田義治サンズ会長(76)がプロデュースすることになった。2人にこれからについて聞いてみた。

野田会長と言えば細川ふみえ、雛形あきこ、山田まりやなどで90年代の「巨乳ブーム」を仕かけ、水着で売り出したタレントに服を着せてプロデュース。今は売れっ子女優になっている小池栄子、MEGUMIらを輩出した事でも知られている。

歩はリエコ・J・パッカーとして“旅ドル”としてデビュー。世界94カ国をバックパッカーとして回った経験を持ち、12年に出版した旅行記「ブラを捨て旅に出よう」はスマッシュヒットになり、20年には女優水原希子主演でHuluで映像化。シングルマザーの旅行作家として、文化人としても活動してきた。

歩「初めて日刊スポーツのインタビューを受けたときは27歳。だいぶ、オバサンになって、今月22日には41歳になります(笑い)」

野田「ビートたけし司会の日曜の日テレ『スーパージョッキー』の熱湯コマーシャルの司会を90年代前半に細川ふみえがやっていた。それで、ガードマンを兼ねて現場のスタジオに顔を出していたんだけど、ちょうど売れ始めてきたダチョウ倶楽部のリーダーの肥後(克広)君が、俺のまねを始めてね。それで“巨乳の野田”って知られるようなっちゃった。俺が巨乳なわけじゃないんだけどね(笑い)。今は巨乳のことも、うかつに口にすると“歩くセクハラ”なんて言われるから大変なんだよ」

歩は、今年3月いっぱいで吉本興業を辞めて、フリーになって7月に「スフィア」を出版。それを機に野田プロデュースで活動していくことになった。

歩「吉本には8年いたんですけど、タレントというより文化人としてコメンテーターとかの活動を。あと結婚して、子供を2人産んで、離婚してシングルマザーとして子育てしてきたので、あまり活動はしていませんね」

野田「歩もねヘアヌード写真集を出したけど、元々は旅作家みたいなことやってたんだからね。俺はこれから服を着せて、作家としてもう1度やらせるんだ。そればっかり言ってるんだよね。要するに、この1発目の『ブラを捨て--』っていうのも、ドラマで水原希子が楽しく旅行しているイメージしかないんだよね。せっかく世界中94カ国も行ってて、それなりの経験してるんだから。それで、よくよく聞いたら『ブラを捨て--』では、まだ20カ国のことしか書いてないとね。94カ国だから、74も国がのこっているじゃない。それなら少なくとも、あと2冊ぐらいは、その後が書けるはずだと。編集とか事務所の問題もあるけど、なんで自分で言わなかったのかなっていう風に思ってね。グラビアだ、水着だってやったところで、そんなに長く食えるギャラをもらえるわけじゃない。その後の展開が、大切なんだ」

歩「野田会長に本をかけと言われて、取りあえず必死に原稿を書き上げて2本送ったんですよ。今日、その感想を聞こうと思ったら『まだ、読んでない』と(笑い)。言われてみれば、最初に本を出した後は、エッセー的なもの以外は、タレント活動、文化人、妻、母親と忙しくて、その後の事を書いていなかったんですよね。講談社の『FRaU』webでは、世界94ヵ国で出会った男についての連載を54回やってるんです。だから、その原稿はものすごい量があるんですけど」

野田「俺が言うのは、きれい事ばっかり書いてちゃダメだということ。小説の形式だったら、もっとリアルなものを書けるんじゃないかと。たとえば『強姦(ごうかん)されました』でもいいんだよ。あっ、こういうことは言っちゃだめなのかな、今は。じゃあ、旅するために、どうやってお金を稼いでいたのかとか。楽しい話ばっかりじゃなく、そういうのをもっと書いてほしい。前に、うちにいたマネジャーの子なんですけどね、一生懸命仕事してきて、半年目に泣きついてくるんですよ。『社長、半年間休ませてください』ってバックパッカーになって世界に出て行く。僕らが、頼まれても行きたくない、汚いスラムとか、空気の薄い高地とか。俺には、その気持ちは訳わからないんだけど、若いやつらには受けるんだよね。だったら、歩も、もっとネタがあるんじゃないかと。そのネタの写真も撮ってあるっていうから、なんで書かないんだ。きれい事ばっかりやるなということ」

歩「世界の子供の写真展的なこともやってましたね。それはそれで素晴らし事だと思ってますけど、今から思うときれいすぎでしたね(笑い)」

野田「そこで、格好つけたってしょうがない。訳わかんない事ばっかり、チラチラと、こんなのはどうですかと言ってくるんだけどね。お前は世界中回って、作家としてのベースもあるんだから、それをもっと生かせと。歩りえこという名前を知っている人もいて、写真集も出したと。俺はいろいろなところに写真とかプロフィルを置いては来るけど、それだけじゃだめだ。何が出来るんだと。今の時代だから、ダイレクトにメールが来ることもあるから、自分で対応してオーディションに行ってこいと言ってある」

歩「会長から言われたのは、オーディションとかに行く時に上等な格好なんてしていくなと。バストを強調した衣装みたいなものじゃなく、最初は金にならないんだから、オーディションに行くんだったらジャージー着ていけぐらいのことを言われました。そこで着替えたりする必要があったら、着替えたらいいと」

野田「業界の人間は、この子がどんな体験をしてきたかっていうのを、認知した上で見ているわけでね。その方が、もっとフランクに話ができるんじゃないかなっていう風に思ってるだけの話。ただ、ピッチリした服なんて意味ないよと。わざわざそんなことをする必要ないよ。お金にもならないのに。脱ぐのは金になる時だけ(笑い)。そこを徹底しなさい」

歩「私ね、普通の服って持ってないんで(笑い)。バストが自然に強調されちゃう。普通にシャツを着てても、胸のボタンがはち切れそうな感じで。そうじゃないと、胸からストンと落ちて、マタニティードレスみたいになっちゃうんですよね」

(続く)

◆歩(あゆみ)りえこ 1981年(昭56)9月22日、東京生まれ。短大1年時、チアリーディング部の遠征で渡米し、海外初体験。編入した清泉女子大を卒業後、海外1人旅を続ける。25歳でタレント活動を始め、「旅ドル」として雑誌やテレビに出演。10年(平成22)に芸名を「リエコ・J・パッカー」から現在の名前に変えた。12年旅行記「ブラを捨て旅に出よう」(講談社文庫)を出版。今年7月にヘアヌード写真集「歩りえこ1st写真集 スフィア」(撮影・山岸伸)を発売。160センチ。B99(Gカップ)-W64-H99センチ。7歳の女児と5歳の男児のシングルマザー。血液型B。

◆野田義治(のだ・よしはる)1946年(昭21)3月28日、富山県生まれ。65年にダイワ企画入社。夏木マリのマネジャーを務め、その後は渡辺プロでいしだあゆみ、朝丘雪路などをマネジメント。事務所に入り、84年にイエローキャブを設立。堀江しのぶ、かとうれいこ、細川ふみえら数々の巨乳タレントを売り出し、胸にこだわる姿勢を「巨乳バカ一代」と自称。04年にイエローキャブ社長を退任した。現在はサンズエンタテインメント会長。