女王が負けた-。五輪4連覇を目指した53キロ級の吉田沙保里(33)は、決勝戦で過去2戦2勝のヘレン・マルーリス(24=米国)と対戦。1-4で敗れ、銀メダルに終わった。吉田の個人戦黒星は01年の全日本選手権以来15年ぶり。連勝は206試合、13連覇中の世界選手権と五輪を合わせた連続世界一の記録は「16」で止まった。天国の父栄勝(えいかつ)さん(享年61)に金メダルを誓ったが、力の衰えは隠せず。日本協会の若返り策もあって、このまま第一線を退くことが濃厚になった。

 残り30秒、吉田は最後の力を振り絞ってマルーリスの右足をとらえた。2年前に亡くなった栄勝さん直伝の高速タックルで、逆転勝利を狙った。日の丸の旗が揺れ、会場のブラジル人の大声援が飛んだ。それでもポイントは奪えない。時計だけが進んだ。終了のブザーに両手で顔を覆って喜ぶマルーリス。その横でマットに顔をうずめて泣いた。吉田の時代が、終わった。

 泣いたままスタンドに歩み寄り、母幸代さん(61)に「お父さんに怒られる」と言った。「大丈夫、大丈夫、よく頑張ったよ」の声に、また泣いた。負けたことの悔しさとショック。15年ぶりに味わう敗戦の味に涙は止まらなかった。「力が出せなかった。応援してくれた人たちに、申し訳ない」。その声が震えた。

 昨年の世界選手権前、吉田は弱気だった。「みんなが私を倒しにくる。負けるのが怖い。厳しいです」。体力の衰えも感じていた。決勝でマットソン(スウェーデン)を下して16回目の世界一は決めたが「次は勝てない」と思わせる内容だった。優勝して号泣する女王の姿は、時代の終焉(しゅうえん)が遠くないことを感じさせた。

 昨年12月、突然ALSOKを退社し「自由に活動できる」立場を手に入れた。テレビ番組やイベントに出て、大会前には芸能人を集めて派手な壮行会も開いた。「あれで、本当に勝てるのか」と心配する声もあった。今年に入ってからは一切試合に出ず、国内で調整した。相次ぐケガもあって「世界一」の練習量は減った。日本選手団主将の依頼は、二つ返事で引き受けた。とても「勝負に集中する」状態ではなかった。

 それでも、前回のように本番になれば力が出せると思っていた。吉田が「ねえや」と慕い、食事の世話もしてもらう栄チームリーダーの怜那夫人は「何か達観したというか。これまでの沙保里とは違っていた」と話した。しかし、現実は残酷だ。打倒吉田だけを目指して努力を続けてきたマルーリスに勝てるほど、五輪は甘くなかった。

 今後については「考えていない」と言った。「勝って引退」は栄チームリーダーとの約束。決勝にも「最後だな」の声で送り出された。昨年から負ける日が来ることを覚悟していた幸代さんも「沙保里をマットで見るのは最後だと思って応援した」と涙で話した。日本レスリング協会の福田会長も「ご苦労さま」と労をねぎらった。一夜明け会見で20年東京五輪について聞かれ「出たい気持ちはある」と言ったが、その後は「分からない」と続けた。

 日本協会が来年の世界選手権にベテランを出さないことを決めているため、このまま一線を退くことが濃厚だ。「レスリングだけでなく、いろいろなことに挑戦したい」と言い続けてきた吉田が、新たな道を歩み出す。【荻島弘一】

 ◆吉田沙保里(よしだ・さおり)1982年(昭57)10月5日、三重・津市生まれ。元レスリング選手の父栄勝さん(故人)の影響で3歳からレスリングを始め、02年世界選手権で初優勝。以来13大会連続で優勝している。五輪は初出場の04年アテネ大会で金メダルを獲得、選手団旗手として臨んだ12年ロンドン大会で3連覇。三重・久居高-中京女大(現至学館大)からALSOKに進み、昨年12月に退社。家族は母と兄2人。157センチ。