10月27日、東京都立石神井高校。2年生8クラス315人を前に、柴田晋太朗君が教壇に立った。

「病気になったからできることとか、叶えたい夢が出てくると思う。ポジティブに前向きに、プラスの言葉を発することでやる気にもなるし、その通りになるんじゃないかと思います。僕はそういう感じで乗り越えてきました」

当コラムでこれまで取り上げてきた「がんと闘うファンタジスタ」柴田君である。プロ選手を目指して高校サッカーに打ち込んでいた2年前の夏、100万人に1人という希少がんの骨肉腫を右肩に発症。2年に及ぶ闘病生活を余儀なくされた。その壮絶な実体験をこの日、自らの言葉で高校生に伝えていた。

講演を行う柴田晋太朗君
講演を行う柴田晋太朗君

■総合科目「人間と社会」

東京都が道徳性を養い価値判断を高める狙いで、2年前から導入している総合科目「人間と社会」の授業。人間としての在り方や生き方を考えるというのがテーマである。その講師役として人生で初めての講演を行った。

午前中の3時間目、4時間目の2コマ。各50分、計100分という枠だ。モニターに映し出されたタイトルは「難あってこその人生」。ことし3月に神奈川・日大藤沢高校を卒業したばかりの19歳は、わずか2歳しか違わない生徒たちと真っ向から向き合った。

「僕も治療が終わったのが9月1日。今は動ける体があるので、もっとみなさんに知ってもらいたいな、と。知らないところでは病気になって困っている人とか、夢をかなえたくてもかなえられなくなった人とかいっぱいいます。みなさんは自分の好きなことができて、やりたいことができて、腕があったり、走れたり。これが当たり前だと思わないでほしいですし、この話を聞いたことで、もう少し日々を大切にしたりとか、人とのつながりを大事にしたりとか、もっと自分の体を大事にしたりとか、そういう考えになってほしいなと思います」

モニターに自らの写真を映し出し、2016年8月の発症からの2年を事細かく振り返った。治療薬でアナフィラキシーショックを起こし生命の危機にさらされたこと、がん細胞の肺への転移を隠して復帰戦の舞台に立ったことなど、包み隠さずに話した。すべては「伝えたい」「知ってもらいたい」の思いからだった。

「僕も朝起きて、学校に行って、だるいなと思いながら授業を受けたり、『練習かあ…』と思いながら練習してたりとか、そういう当たり前の幸せな生活ができなくなり、家にいる時は普通に『学校に行きたいな』と思うようになったし。『もっと練習したいな』と思うようになったり。何かを失うと気づくことがある。でも理想なのは、そこを失わないで、気づけることが大事だと思う。僕も左肺の半分がなくなったし、右腕も上がらない状態になって、ようやく自分がこういうことしなきゃと気づけた。遅いくらいでしたけど。やっぱりここで変われたことが、自分の人生においての大きな経験値にできた。これを何もない状態で気付けるということが一番だと思いますので」

声は通り、雄弁そのもの。高校生たちの視線は壇上に注がれ、誰もがその話に聞き入った。

石神井高校2年生を前に話す
石神井高校2年生を前に話す

■不器用でも「伝えたい」

最後の質疑応答での一幕。サッカー部員から「強い高校との試合の前日、どうやって過ごしますか?」と問われると、「ルーティン」の大事さを説き、目先にとらわれず大きな目標を持つことをアドバイス。なかなかの先生ぶりである。合計100分にも及ぶ授業の最後は、大きな拍手に包まれた。

「僕の信念は逃げないこと、立ち向かって乗り越えること。それを経験とともに伝えられたらいい。自分の届けたい言葉、気持ちはしっかり届けられたので良かったです。話し上手になるには場数が必要だと思いますが、でも話し上手になって伝えたいことが伝わらないより、不器用でも伝えたいことが伝わる方がいいのかなと。1回目だったんですけど、それなりに良かったのでは」

安堵(あんど)感が言葉ににじむ。初めての講演は大成功だった。

今回の講演は、柴田君が入院治療中に知り合ったがん専門病院で働く理学療法士、飯沼亮介さんの橋渡しによって実現したものだ。飯沼さんが、高校時代からの友人で石神井高校に勤務する冨士健太教諭に相談したところ、「年齢の近い人の話を聞くことは生徒にとってもいい機会になる」と学校側が快諾した。

また奇遇にも、この石神井高校は柴田君の父の母校であり、授業を受けた2年生の学年主任教諭は父の高校時代の同級生というオマケ付き、まさしくサプライズだった。

モニターに映し出された中村俊輔選手とのツーショット写真
モニターに映し出された中村俊輔選手とのツーショット写真

■高校生の胸に響いた言葉

柴田君の講演を手掛けた飯沼さんは、その狙いについてこう話す。

「がんって世間で多いのに、なかなか取り上げられない。診断を受けた時からがん患者になって『どうしよう』って。何かできなくなる、抗がん剤治療かわいそう、って暗いイメージがある。でも僕が病院で働くようになって、患者のイメージは元気だということ。活力をもって治療に励んでいる。僕の中でもイメージが変わって、その中でも印象的だったのが柴田君でした。そして偶然にも彼は発信していきたい、と。前向きな人はいても、なかなか発信はしたくない。であれば、つなげてあげたい。そういう場所を与えてあげたいと考えました」

では実際に話を聞いた高校生たちの反応はどうだったのか?

質疑応答で繰り返し挙手したサッカー部の大友良平君は「自分より2コ上だけなのに、人として出来上がっていると思いました」と目を丸くし、「がんになったらあきらめてしまいそうになると思うけど、そこをポジティブに病気を乗り越えたのは素晴らしい。大きな目標を持つこと、チャレンジするからこそ、ワクワクすると思いました」。

また、サッカー部主将の吉野琉君は「話を聞いて、前向きな姿勢が生きていく上でも、サッカーをやる上でも大事になってくると思いました。チームとしても全国選手権を目指しているので、そういう姿勢でやっていけば、いい結果がついてくると思いました」。柴田君の言葉は、しっかりと胸に響いたようだ。

石神井高校サッカー部の練習で話す
石神井高校サッカー部の練習で話す

■サッカー部の練習にも参加

その放課後、柴田君はサッカー部の練習に参加し、グラウンドでボールを追った。練習最後のミーティングでは、新人戦を戦う石神井高校へ“先輩”として熱心にアドバイスも送った。

がんサバイバーとして、命の重みを誰よりも知っている。自分が発信することで、病気を取り巻く環境のことも知ってもらい、骨肉腫治療の開発が進めば、と願う。自らもこの日の一歩を足掛かりに前へ進もうと思っている。そのためにもまずは大学への進学を考えている。講演の中で「僕はこの先、大学に行って幅を広げて、もっといろんな人とつながって、もっと自分の叶えたい夢が出てくるんじゃないかと思っています」と話した。

「周りに無理だと言われても、夢はサッカー選手、少しでも活躍して経験していきたい。でもサッカーだけじゃ、生きていけないというのは分かっている。(講演で)言いそびれたけど、もし大学に入れた場合の夢が出てきた。大学に入れたらなので、まだ言いませんでしたけど」

命を救ってくれた先生、闘病を支えてくれた看護師やリハビリの先生に薬剤師、家族に親せき、友達、そして生と死のはざまで闘っている人たち。欲を言えば、世界中の人々に感動と希望を与える人間になりたい-。そんな途方もない大きな夢を描く19歳は、確かな一歩を踏み出した。

【佐藤隆志】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サカバカ日誌」)

柴田晋太郎君(前列真ん中)は石神井高校サッカー部2年生と記念撮影に収まる
柴田晋太郎君(前列真ん中)は石神井高校サッカー部2年生と記念撮影に収まる