ベガルタ仙台の12年前の画期的な取り組みが、仙台に新たなサッカーを生み出した。ブラインドサッカーのコルジャ仙台。7月1日に開幕する日本選手権(横浜みなとみらいスポーツパーク)に東北から唯一出場するクラブの誕生には、ベガルタの存在が欠かせなかった。

 「無防備に始めました」。ベガルタ仙台の事業部長などを兼任する斉藤美和子さん(59)はそう回想する。斉藤さんは05年、ホームタウン事業の担当者になった。当初はソフトテニスやソフトボールなどの競技活動の場を提供していたが、「障がい者のサッカーはやっていないなと。おかしいな」。入社前には途上国支援のNGOに務め、途上国の障がい者に対する差別に心を痛めていた。その経験もあって、車いすサッカー教室を開催した。

 スポンサー企業から2人の職員が派遣され、3人体制で始めた。その取り組みが話題になり、宮城県障害者スポーツ協会の小玉会長の理解も得て、06年にはバリアフリーサッカー教室実行委員会を設立。ブラインドサッカー教室も開催し、同日本代表を招待した。ベガルタの選手も教室で参加者と競技を楽しんだ。当時同様の事業でベガルタと連携していたのは、アビスパ福岡くらいだったという。関係者から「前例がない」と言われた事業を、急ピッチで進めた。

 その教室に参加していた2人が、後にコルジャ仙台を立ち上げることになる。健常者の増田茂樹さん(40)と特別支援学校に通う高校2年生だった伊藤慎哉さん(27)だ。2人ともブラインドサッカー日本代表のプレーを見て、目を疑った。増田さんは「普通のプレーヤーが蹴るスピードだった」。伊藤さんは「この人、本当は見えているんじゃないか」。10年から2人を中心に練習を始め、12年に強豪・筑波技術大から2人が加わって、クラブが誕生した。前主将の伊藤さんは「今は1人のサッカー選手として活動していきたい」と意気込む。運営担当の増田さんは「斉藤さんの活動なくしては、クラブはなかった」と感謝する。

 「チームをつくってくれてうれしい」と喜ぶ斎藤さんは、今回の取材で自身の活動を振り返り、ある出来事を思い出した。「8年くらい前、仙台大で大会を開いた時、あるチームが市販のTシャツを着ていた。あんまりじゃないかということで、前年までのベガルタ仙台のユニホームを渡しました」。

 そこから、時代は変わった。東京五輪・パラリンピックの開催も近づき、障がい者スポーツへの注目度は高まっている。コルジャ仙台は自前のユニホームに身を包み、練習に励む。斎藤さんは「すごいよね。障がい者スポーツに対してずいぶん変わった」と感慨深く話した。

 ただ、取り巻く環境は、万全とは言えない。主な練習拠点はフットサル場ではなく、小さな運動場。芝がはげている部分も目立つ。試合でサイドラインに置かれるフェンスは確保できていない。

 元Jリーガーが代表強化選手に選出されるなど、人的交流は活発化。増田さんは教室を振り返り「ベガルタの選手はやはりうまかった。足元の感覚とか。伊藤君も励みになると思う」。現場からは、地域レベルでも交流が望まれている。

 斉藤さんも「ベガルタは自分のチームを持たなくても、やっているチームを応援できるようにしたい」と言った。今こそ、仙台での競技の普及と発展に向けて、2つのサッカークラブが連携を強化するべきではないだろうか。【秋吉裕介】


 ◆秋吉裕介(あきよし・ゆうすけ)1993年(平5)6月28日、横浜市生まれ。16年4月入社、11月から仙台担当。