サッカー元日本代表GK川口能活(42=J3相模原)の特別インタビュー。後編では、「真面目一徹」の生きざまを語っている。「常に厳しい環境を求める」。小2にしてそのマインドを見せ、小3でサッカーと出合っていた。「真面目で良かった」「大好きな地元に貢献したい」。生まれ育った富士市への恩返し構想も明かした。

 

 今季、川口は今月5日に行われたアウェー沼津戦までに、15試合に出場している。沼津戦(0-0)は無失点。健在ぶりをアピールした。だが、チームには27歳、25歳、20歳のGKが在籍し、ポジションを争う日々だ。後輩たちに指導をすることはあるのか。

 「自分からはないです。同じGKなら純粋にポジションを争い、試合に出ることが大事ですから。そうした姿が、若い選手のためにもなると考えています」

 だが、今季は9節まで試合に出られなかった。

 「葛藤はありました。何のためにここにいるのかと。ただ、自分らしさを出すのは、ゴールマウスに立つことなので、自分がベテランだと思わないようにしました。『ベテランだから、少しくらい手を抜いてもいいかな』と自分を甘やかしたくないんです。キャリアの終盤に来ていることは分かりますが、このまま終わりたくない。次のステージに納得して行くために、今、全力で戦っています」

 輝かしいキャリアを積んできたが、戦力外、ケガに苦しんだ時期もあった。

 「しんどい時も黙って全力で向き合ってきました。試合に出られなかったら、練習をしてコンディションを上げる。人のせいではなく、すべては自己責任ですから。そうしていると、誰かが手を差し伸べてくれます。あきらめていた2010年W杯南アフリカ大会の直前に招集されたり、ケガのいい治療法を教えてくれた人もいました。一生懸命、真面目にやっていると誰かが見てくれている。やらない人には、そういうチャンスはないと思います」

 真面目でストイック。そのマインドは、子供の頃から備わっていた。

 「サッカーは小3で始めましたが、小2の時には、空手の道場へ見学に行きました。兄は『やりたい』と言いましたが、僕は嫌でした。そこで見た練習が、ちんたらしていたからです。当時から、厳しい環境を求めていたんですね。真面目でよかったです」

 97年、妥協のない練習姿勢は、横浜の新人だった中村俊輔に影響を与えた。「マリノスに入った時、能活さんの自主練を見て刺激を受けた」と公言している。喫煙、飲酒をせず、脂肪分を避ける食生活にもだ。

 「そうですか~。今では、俊輔の方がすごい選手ですけど(笑い)。確かに僕は肉をグリルで焼いて、調味料を使わずに食べていました。そうして、僕や俊輔がやってきたことを代表のスタッフが、若い選手に伝えていると聞きました。実際、意識の高い選手が多くなりましたし、相模原の若手も酒を飲まないですね」

 現役生活24年。引退後のことは考えているのか。

 「具体的なビジョンはないですが、J3に来て奉仕活動、地域貢献をする機会が増えました。そういうことを推進するフロントを経験して、指導者の道に進むのもいいと思います。あとは、富士市で定期的にサッカー教室をして、サッカーを根付かせたいですね」

 実は週に1度、はり治療で三島市を訪れている。年末年始には、富士市の実家で過ごす。静岡を愛する不屈の守護神は、今日も真面目にボールを追っている。【取材・構成=柳田通斉】

 

 ◆川口能活(かわぐち・よしかつ)1975年(昭50)8月15日、富士市生まれ。天間小3年でサッカーを始め、東海大一中、清水商を経て94年に横浜入り。01年からポーツマス(イングランド)などの海外クラブでプレーし、05年に磐田でJ復帰。14、15年はJ2岐阜に所属し、16年からJ3相模原。W杯の日本代表には98年フランス大会から4大会連続選出。Aマッチ116試合出場。J1で421試合、J2で43試合、J3で34試合に出場。180センチ、77キロ。家族は夫人と1男1女。血液型A。

 

 

〇…川口の初めての著書「壁を超える」(800円税別)が、10月8日に角川新書から出版された。これまでのサッカー人生を振り返り、「支えてきたもの」を明かしている。全国高校選手権を制した清水商時代にも言及。今回のインタビューでは、県代表が全国優勝できない状況について「県中学選抜の選手が、高校で別々になりますからね。僕らの代は大半が清商に集まったので強かった。ただ、他地域のレベルアップが一番の理由で、静岡県が弱くなったとは思えません」と話している。