桐蔭学園が3年連続の出場を狙った桐光学園をPK戦の末に破り、14年ぶり9度目の出場を決めた。今大会はエースFW千葉恭馬(3年)が大会前に右膝の前十字靱帯(じんたい)と半月板損傷の大けがを負って欠場。後半にDF原川凌太朗主将(3年)が2度目の警告で退場するなど、攻守の要を欠く中でも最後まで走りきり、全国への切符をつかみとった。

 桐蔭学園は5人全員が決めて迎えた最後のPK、キッカーの桐光学園MF田中雄大主将(3年)の蹴ったボールがゴール上に外れると、桐蔭イレブンは一斉にゴールに向かって走りだし、泣き崩れた。

 苦しい展開だった。相手は3連覇を狙う王者桐光学園。チームの得点源だった千葉がけがで欠場する中、原川を中心にまとまったチームは決勝まで順調に駒を進めてきた。しかし、この日は後半28分にその原川が2度目の警告で退場となり、泣きながらピッチをあとにした。10人になったチームは王者の猛攻を受け続けた。それでも懸命に耐え、最後まで守りきった。

 蓮見理志監督代行は「原川のために、そして試合に出ていないベンチメンバーのためにやるぞと話しました。10人でも絶対最後まで戦ってくれると思っていた。感謝の気持ちでいっぱいです」と感慨深げに話した。

 ロッカールームで勝利を祈っていた原川は、勝利の一報に誰よりも涙が止まらなかった。「一番大事なときに足を引っ張ってしまって、みんなに助けられた。チームメートに恵まれたなと思います」。この日は14年ぶりの選手権出場を後押ししようと、OBのほか、野球部やラグビー部の生徒も応援に駆けつけていた。約500人の応援団の熱い声援に「支えてくれた人への感謝の気持ちで泣き崩れました。自分は迷惑をかけたけど、恩返しができてよかった」と振り返った。

 1年生の頃から学年のキャプテンを任され、常にチームを引っ張ってきた。蓮見監督代行は「原川が僕を助けてくれたり、チームをつくっていた部分はあったので、それは他の子もわかっていた」と信頼を寄せる。原川の父文男さんも「(退場は)難しいジャッジかなと思ったけど、仕方ない。試合を祈る思いで見ていました。キャプテンシーが強い子なので、自分がピッチを離れることで責任を感じていたんだと思います」とその心情を思いやった。

 この日の退場により、選手権初戦となる2回戦の一条戦(奈良)には出場できない。それでも「絶対みんなはやってくれるので、サポートしていけたらいいなと思います」と不安はない。

 これで47都道府県48校の代表が全て出そろった。3年生の仲間たちと経験する、最初で最後の大舞台となる。原川は「苦しい状況を乗り越えてきた仲間たちと全国大会に出場できてうれしいですし、身のあるものにしていきたい。今の仲間は自分にとって宝物。全国制覇を成しとげたい」と言い切った。