プロレスラー、政治家として活躍したアントニオ猪木さんが亡くなった。北朝鮮を訪問し続けるなど型破りな行動で知られた。力を入れていた「スポーツ外交」とは、どういうものだったのか? 今から9年前の2013年5月20日、元陸上選手の為末大さんと対談し、自らの考えを余すことなく語った。その直後に猪木さんが参院選への出馬を表明したことから、選挙運動への影響を考慮して掲載は見送りとなっていた。生前の功績をしのび、当時のインタビューを公開したい。全4回の2回目。【構成=佐藤隆志】
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為末 オリンピックに出ると、そもそも人間同士、人類同士という感じで共有するものがあったりします。国同士の戦いでもあるんですけど、人間の限界にチャレンジするところもある。時に敵も味方もなくなって、より高みをみんなで目指そうみたいな雰囲気になる時がある。そういう力がスポーツにはあって、それを体験すると、国と国との間に抱えている問題が小さくなってくる。
猪木 ある意味超越したね。そういう考えができるのはスポーツの素晴らしさ。我々は1対1で戦う。戦った後、力出し切った時に本当に友情というものが生まれる。モハメド・アリ(2016年6月3日に74歳で死去)とはここのところ病気で会ってないですけど、これまで私が戦ってきた歴史の中で、彼が一番友情が厚いんじゃないかな。彼からしてもそうじゃないかな。
為末 正直、大変でした? 日本に呼んで。
猪木 まあね。要するに常識外。現役のチャンピオンだから。向こうは一切そんなこと考えてもない。なんであんなことできたかと言われると、仕掛けている時はもう夢中でその一点に熱中していたからね。後になってそうだったんだって思うくらいで。
為末 これが実現したらおもしろいんじゃないか、って。
猪木 もう1つはプライドですね。レスラーが強い、ボクサーが強いっていう。
為末 陸上の場合はそんなに1対1で戦わない。そのプロレス、レスリングのような1対1で勝ち負けがあからさまに見えるスポーツは特有の何かがありますよね。
猪木 いろんな試合があります。プロレスって毎日の試合が多かったんでコンディションの悪い時もあるし、けがの連続でもある。そんな中で一番集中した試合。練習が十分できたからこれだけの結果が出たんだとかね。自分が全部さらけ出される世界なんです。自分がそこにいると、もう1人の自分が眺めているという感覚。そういう経験が何度かある。
為末 それは客観的に自分を、リングの上から見えるという?
猪木 そうね、もう1人の自分が自分を見ているというね。あれがなんだったか分からないんですけどね。体験した人でないと分からないことなんで。
為末 陸上の世界でゾーンと言われる、すごい集中した状態があります。僕はハードルという競技をやっていたんですけど、いい時はハードルを跳ぼうということばっかりに意識がいって、人が自分をどう見ているのかというのが、まったく気にならなくなって、周りの観客の音とかも小さくなって、自分の足音だけがすごく響いていました。あれが何だったのか、よく分からないです。競技人生に何回かしかなかったですけど。そういう感覚と同じなんですかね。
猪木 何かの意識が超越した時なんですかね。今言われて、なんとなく分かります。人は関係ない、自分の何か。もっと言えば意識の一番深い部分での何か。
為末 普段のレースだと、こうしてやろうとか考えるんですけど、そういうものがすごい小さくなって。何も考えずに走っているんですけど、後からレースを見るとちゃんとペース配分している。走っている最中は自分が無意識になったような感じなんです。プロレスのような複雑で、相手の出方も見ないといけないようなものでも、集中していくとそういう世界が見えてくるものなんですか?
猪木 そうですね。だから、自分以外のものが、相手が見えてしまうような感覚ですね。それは持って生まれたもの、あとは訓練して到達するものでもありますね。誰にでもできることじゃないですよね。
為末 ある程度資質がないといけないってことですかね。プロレスラーに必要な資質ってどういうものなんですか?
猪木 やっぱりガッツ。まず入門したところから始まりますよね。そこで耐えられるかどうか。私の場合は屈伸運動を毎日1500回とかね。私はブラジルに移民した経験がある。過酷な労働を朝から晩までやってて。そういうことの生活の中で培ったものがあったので、練習はきつかったけど、苦にはならなかった。それが当たり前だと思えるくらい。入門して「命かけます」と言って、2日目くらいに逃げちゃうのがいるんですよね。黙って「やめます」って言えばいいんだけど、やっぱり見栄を切った以上、格好悪いんでしょうね。
為末 ブラジルでの生活の体験が影響したりしているわけですか?
猪木 一番、多感な時期ですからね。14歳ですから。
為末 14歳までブラジル?
猪木 14歳から。15、16、17と。17歳の時に力道山がブラジルに来て、その時、オレは(陸上競技の)砲丸やっていたんで。優勝して記事にのっかったりして、それがきっかけでスカウトされた。偶然じゃなくて必然という気がしましたね。プロレスラーになりたいという夢を子どものころから持っていた。それが日本の裏側に行ってしまって、それでもう夢は遠くなってしまうわけでしょ。その時に、ルーテーズというものすごい選手がアメリカにいると聞いて、その門をたたこうと勝手に思っていたものが、いきなり向こうからやってきた。
為末 その時は砲丸投げ? それで力道山にスカウトされた?
猪木 力道山に。3年で日本に舞い戻った。日本に帰ってくることは当時はないと思っていた。もう2度と日本の土は踏まないだろうくらいな。それくらいの気持ちで移民していった。
為末 最初に戻ってきた時は結構激しくトレーニングしましたか?
猪木 帰国した翌日、ジャイアント馬場さんの道場に。(東京の)人形町に道場があった。まぁ、みんなすごい人ばっかりで。それまで周りに自分よりでかいやつがいなかったわけですよね。それが今度はオレよりでかいのが何人もいるわけですから3000人くらいだったね。力道山を迎えてた人がね。すべてが初めての世界で、その中で人形町の道場に行って。そこから練習ですよ。初日からスクワット500はやったのかな。それから1日か2日したらもう歩けない。はいずって歩く。もうそういうもんだと思っているから耐えられた。普通だったら、第一段階でみんな逃げだしちゃったりするんだけど。
(つづく、7日配信)