7月末日時点で人口4万8216人。そんな兵庫県の中南部に位置する小野市が、全国的にスポットライトを浴びる1日となった。

8月23日、東京オリンピック(五輪)のメイン会場となる国立競技場。陸上のセイコー・ゴールデングランプリ女子1500メートルで、田中希実(20=豊田自動織機TC)が14年ぶりに日本記録を更新した。無心の走りで4分5秒27をたたきだし「うれしい気持ちを祐梨子さんに伝えたい」とほほえんだ。

「祐梨子さん」とは、田中が塗り替える前に日本記録を保持した小林祐梨子さん(31)。2人はそろって小野市出身。田中は以前から「祐梨子さんはいろいろな場面で私の名前を出してくださって、とてもうれしいです」と感謝してきた。

新記録樹立から一夜明けた24日、小野市は早速、垂れ幕の製作準備に入った。田中は7月にも3000メートルの日本記録を18年ぶりに更新。すでに庁舎には、その快挙を祝うものを設置している。わずか1カ月半で垂れ幕2本…というところにも、快進撃のすごさが伝わってくる。

コロナ禍の明るいニュースに市の担当者も喜んだ。

「小林祐梨子さんが(08年)北京五輪に出場されて、田中さんも東京五輪の候補になってくる。本当に喜ばしいことです」

快挙の裏には小野市の“アシスト”もあった。新型コロナウイルスの影響で大会中止が相次いでいた今春。4月にオープンした「小野希望の丘陸上競技場」は閉鎖されることなく、市民の利用が継続された。小野市では、緊急事態宣言中も市内の感染者はゼロ。利用時には3つの密を避けるなど感染拡大防止策を施し、市はさまざまな対応をシミュレーションした。

そうして、陸上競技場の「日常」は守られていた。

普段は京都の同志社大に通う田中だが、大学の授業はオンライン。通学時の生活拠点としている兵庫・尼崎市から戻り、地元の小野市に腰を据えられた。田中はその期間を振り返った。

「県外への合宿は控えましたが、小野市に4月から陸上競技場が新しくできて、県内でトレーニングをできました」

二人三脚で歩んできた父の健智コーチ(49)は、地元への感謝を語っていた。

「週に1~2回、1時間だけでも競技場を使えたのは自分たちにとって幸せで、恵まれた環境でした。コロナで閉塞(へいそく)感のある世の中でしたが、心の部分でも、窮屈な思いをせずに取り組めました。他の地域では走っていたら罵声を浴びせられたり…ということも聞きました。それが一切無かったのが、本当にありがたかったです」

その話の流れから、続けた言葉が印象的だった。

「自分たちは走ることでしか(思いを)表現できないので、だからこそ『結果を出したい』という思いが、より強くなりました。中高生も大会がなくなって、思いをぶつける場がなかなかない。自分たちの時代では全うして、燃え尽きて、次のステップに行けているのに、その場がない人に対して『頑張ろうよ』と言っても『違うでしょう』となると思います。それなら『自分のステージで頑張っている』ということを見せることで、何か伝わるものがあれば…と思っています」

「小野希望の丘陸上競技場」は、オープンした今年4月から1年間、一般市民の利用料を無料に設定している。競技場の愛称は「アレオ」。394件の応募からイタリア語やフランス語で「行け!」「頑張れ!」を意味する「アレ」と、小野市の「オ」を組み合わせた作品が選ばれた。

込められた思いは「行くぜ! 小野」。

世界へ羽ばたく二十歳の背中は、きっと地元市民の希望となる。【松本航】(日刊スポーツ・コム/スポーツコラム「WeLoveSports」)

◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大ではラグビー部に所属。13年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月からは西日本の五輪競技やラグビーが中心。18年ピョンチャン(平昌)五輪ではフィギュアスケートとショートトラックを担当し、19年ラグビーW杯日本大会も取材。

8月23日、セイコーゴールデングランプリ女子1500メートルで4分5秒27の日本記録を樹立した田中(左)
8月23日、セイコーゴールデングランプリ女子1500メートルで4分5秒27の日本記録を樹立した田中(左)