アメリカンフットボールで日本一4度の京大の水野弥一元監督(78)が29日、悪質な反則問題で揺れる日大の監督に応募したことを認めた。ライバルの窮地に一役買いたいと決断し、すでに現役選手幹部らと面談も済ませたという。また、反則問題の日大第三者委員会もこの日中間報告を発表。関東学生連盟同様に反則は内田前監督らの指示と認定。騒動勃発後に日大関係者が選手へ不当介入の口封じをしていたことも明かし、再建へ排除は不可欠とした。

 水野氏にとって日大は、関学大と並ぶ目標であり、ライバルだった。甲子園ボウルでは82年から5度対戦。京大が3勝2敗と勝ち越しも、当時の篠竹監督が率いた名門のすごさ、偉大さを肌身に感じた。

 「日大のような立派なチームが低迷するのは、喜ばしいことではない。フットボールに対しての損失になる。請われれば、お役に立ちたいと思っている」。ライバルの危機はフットボール界の危機と捉え、再建へ立ち上がった決意を口にした。

 OBの要請を受けての応募だが、すでに現役幹部、父母会とも面談して、指導理念などを説明したという。選手からは多くの質問が投げかけられたというが、指導者に関してはOBに一任していた。推薦人には立命大監督で初の大学日本一となった日本協会平井英嗣理事ら、関西を中心に要人が並んだ。

 日大は公募締め切り28日午後5時時点で、外国人7人を含む69人の応募があったと発表した。日大第三者委員会の勝丸委員長は公募を後日に知り、日大に苦言を呈したという。選考委員の人選や選考基準の透明性を強く求めた。

 さらに指導者の条件に「反則はいけない信念、社会人育成へ教育的視点を持ち、コミュニケーションをとって選手が信頼する人」の3点を挙げた。素人集団を猛練習で鍛え上げ、学生日本一に6度、日本一に4度導いた実績は申し分ない。京都市教育委員長だった経歴も持つ。勝丸委員長も「正直びっくり」という応募だが、69人中で最適者の1人といえる。

 日大は今後選考委員会を立ち上げて指導陣を選ぶ。水野氏が要望するコーチ陣や指導環境などを大学側が受け入れるかは不明。日大には願ってもない救世主といえども、折り合わない可能性もある。

 ◆水野弥一(みずの・やいち)1940年(昭15)6月13日、京都市生まれ。パイロットを目指して防大に進んで競技を始めるが腰痛で中退。61年に京大に入るとOLでプレー。大学院生コーチから、71年に全米大学2部コロラド鉱山大に留学を経て、74年に監督就任。76年に関学大から初勝利、82年に関西初優勝で甲子園ボウル(現全日本大学選手権決勝)に初出場。83年に日大の6連覇を阻んで初の大学日本一。甲子園ボウル6度、ライスボウル(日本選手権)は4度制す。11年に監督勇退も12年に追手門学院高、14年には追手門大監督、16年に立大シニアアドバイザー就任。15年に日本殿堂入り。