政府の緊急事態宣言が延長され、スポーツ界も「自粛」状態が続いている。日刊スポーツの記者が自らの目で見て、耳で聞き、肌で感じた瞬間を紹介する「マイメモリーズ」。サッカー編に続いてオリンピック(五輪)、相撲、バトルなどを担当した記者がお届けする。32年前、88年ソウル五輪、記者が鈴木大地ら代表選手と一緒に本番プールを泳いだ!?

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逆三角形の選手たちの横で、打ち上げられたトド状態だった。警備員にいつ見つかるかとヒヤヒヤしながら、プールサイドで体を動かした。五輪開幕まで1カ月の88年8月、完成したばかりのソウル、蚕室水泳場で泳いだ。「体験取材」と言えば聞こえがいいが、今振り返れば完全にルールを無視した「暴走取材」だ。

「最新のプールで記録が出やすいんです」。デスクへの連絡が、間違いのもとだった。「自分で泳いでないのに、どうして分かるんだ。泳いでみろ」。デスクの命令は絶対(当時は)。会場の外で、日本競泳チームのバスを待った。選手に紛れる以外、入場する方法はないと思ったからだ。

「一緒に入っちゃえば大丈夫じゃないかな」というスタッフの言葉を信じ、取材パスを裏返して選手と談笑しながら会場内へ。入り口に立つ兵士の銃は怖かったし、何人もの兵士に不審な目を向けられた(と思った)が、何とか入れた。

ズボンの下にはいていた競泳パンツ姿になったものの、とても競泳選手とは思えない体。早くプールに入りたかったけれど、入水前のストレッチがある。選手たちは「乱入者」に冷ややかな視線。スタンドの記者たちも「何やってんだ」と驚き、笑っていたという。

カメラマンの「なるべく(鈴木)大地の近くにいてくれ」という指示通り、日本のエースに近づく。「競争しましょうか?」と笑いながら言われたが、答える余裕などない。選手たちと一緒にプールに入ると練習のじゃまにならないように10分ほど泳ぎ、写真が撮れたことを確認して急いでスタンドに駆け上がった。

何とか見つからずにすんだが、極度の緊張で手には汗、心臓はバクバク。「波がたたずに泳ぎやすい」「50メートルが短く感じた」と書いたものの、記憶はない。もともと、年に数回泳ぐかどうかの素人。プールの水質など、分かるはずはない。

大地は「泳ぎやすく、蹴りやすい」、高橋繁浩は「キックの利きがいい」と話してくれたが、デスクのむちゃぶりをかわいそうに思ってのコメントだろう。今のスポーツ庁長官と日刊スポーツ評論家の心遣いに、いまさらながら感謝する。

ソウル五輪では、その大地も含む4個の金メダルに立ち会った。シンクロ小谷実可子の銅メダルも、陸上男子100メートルのベン・ジョンソンの金メダル(後に剥奪)も、橋本聖子の自転車挑戦も見たが、強烈な印象に残るのはあのプールへの「潜入」だった。セキュリティーの甘さと同時に、それが許された(ダメだけど)時代を懐かしく思う。

大会組織委員会はもちろん分かっていた。深夜の選手村に忍び込み、小谷の取材をしたのもばれていた。当時スポーツ部の野崎靖博部長はJOCに呼び出され「厳重抗議が来た。次にやったら、取材パスを取り上げる」と怒られて平謝りだったという。帰国後に「大変だったんだ」と笑いながら言われた。昭和最後の五輪で泳いだ本番プール。あの極度の緊張と大地たち選手の冷たい視線が、忘れられない。(敬称略)【荻島弘一】