やめたい気持ちを救ってくれた家族のために、新女王が誕生した。レスリング女子69キロ級の土性沙羅(21=至学館大)は決勝残り30秒から逆転で金メダルを獲得。母祐子さん(47)の優しさに競技を続け、吉田沙保里の亡き父栄勝さん(享年61)から授けられたタックルで世界一になった。

 「どうしょうもない」土性はもういなかった。2点リードを許した残り30秒。技は決まっていた。何度も何度も、できなくても諦めず、磨いてきたタックル。相手が飛行機投げにいこうと半端に手を伸ばした瞬間を見逃さない。脚が、手が、瞬時に反応した。

 土性

 声をかけられている感じ。「大丈夫だよ。いつも通りやれば」と。

 主は、14年3月に死去した吉田沙保里の父栄勝さん。習得が遅く「どうしょうもない」と言われながら授けられたのがタックルだった。だから、ロンドン五輪覇者にも「いつも通り」。鋭く左脚にからみ、2得点。2-2だが、内容の差で逆転勝利を決め、ほえた。日本女子重量級初の金。「重いし、大きい。今までの金メダルで一番、最高」とほほ笑んだ。

 「厳しい練習をしてきたんだから、1つメダルを取ってからでもいいんじゃない」。やめたい気持ちを悟った母祐子さんから、そう言われていた。父則之さん(48)が栄勝さんの指導を受けた縁から7歳で道場入りしたが、上達は遅い。「どんくさい」と言われ、ぶつかり合いで全身青あざだらけが日常。1度だけ、練習に向かう前の夕食で涙をためた。ただ「やめたい」とは言わなかった。

 殊勝な姿に、母は動いた。小3で出た小さな地方大会。その成績を載せてもらおうと、地元新聞に電話、ファクスで懇願した。「すごいね」と名前が載った新聞を見せると、少し笑顔になった。「周りの人に褒めてもらえるとうれしいかなと」と祐子さん。お願いの電話はずっと続けてきた。

 褒めることは栄勝さんも的確だった。だめ出し続きに、たまに言う。「今までで一番うれしかった言葉は『お前なら五輪でやれる』です」と土性。臆病な性格で大胆な攻めが苦手だった姿は消えつつあった。世界選手権こそ、銅、銀、銅と頂点が遠く悔し涙に暮れたが、そんな時も「やれる」と信じてくれていた。

 この日3回目の君が代を聞きながら、涙はついにうれし泣きになった。競技を始めたのはひな祭りの日。女の子には似つかわしくないと思い、「誰にも言わないで。恥ずかしいから」と頼んだ少女は、恩師、家族に支えられ、世界一になった。「悔し涙は無駄ではなかった」。その分だけ大きな喜びが待っていた。【阿部健吾】