デビューからの白星街道 5で止まった山下舜平大と、13まで伸びた堀内恒夫の違いは

オリックス山下舜平大投手(20)の連勝が5で止まりました。入団3年目、開幕試合(対西武)でデビューした大型右腕は、危なげなく白星を重ねました。無双状態にも見えた投球でしたが、味方野手に失策が出て、8試合目に黒星がつきました。新人の連勝を見ると、もう57年も前、高卒1年目の堀内恒夫(巨人)が初登板から13連勝したのが際立ちます。20試合を要して達成されたこの記録、運も味方して積み重ねたものでした。

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牧秀悟の適時打と味方失策で逆転を許しうつむく。デビュー8試合目に黒星がついた=2023年6月9日

牧秀悟の適時打と味方失策で逆転を許しうつむく。デビュー8試合目に黒星がついた=2023年6月9日

◆堀内恒夫(ほりうち・つねお)1948年(昭23)1月16日、甲府市生まれ。甲府市立甲府商の1年生エースとして63年夏の全国選手権大会に出場。65年の第1回ドラフト会議で巨人に1位指名を受け入団した。1年目から1軍に定着して16勝2敗の好成績をマーク。以降エースとして活躍し、83年に引退するまで通算203勝139敗6セーブ。右上手から投げ込む大きく曲がり落ちるカーブが持ち味だった。現役時のニックネームは「悪太郎」。選手寮の門限破りの常習だったという。引退後はコーチ、監督を歴任。


◆山下舜平大(やました・しゅんぺいた)2002年(平14)7月16日生まれ、福岡県出身。福岡大大濠では甲子園出場なし。20年ドラフト1位でオリックス入団。今年3月31日西武戦で1軍デビュー。4月11日楽天戦で初勝利。ここまで7試合に登板し、5勝0敗、防御率0・84。名前の由来は20世紀前半の経済学者ヨーゼフ・シュンぺーター。190センチ、98キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸700万円。

1966年4月14日~連勝街道

山下には不運といえる初黒星だった。6月9日の交流戦(対DeNA)だ。1点リードで迎えた6回、2四球を与えて2死一、二塁とする。ここで牧秀悟に左前打された。1点が入った直後、中継に入った三塁広岡大志が二塁に悪送球して打者走者の牧まで生還させた。6回を4失点(自責点2)。山下は「2つの四球がすべてだと思います」と制球の乱れを悔やんだ。

堀内のプロデビューは、1966年(昭41)4月14日、チーム6試合目となる中日戦の先発だった。6回に2失点して1-2と逆転されるが、ここからが山下とは違った。

続く7回、堀内の代打柳田利夫が満塁の好機に2点二塁打して勝ち越し、初勝利が転がり込んだ。「点を取られても、当たり前だと思っていた。王さん、長嶋さんに打たれてもいい、思い切って投げろと言われて心強かった」とルーキーらしいセリフを吐いた。6回を被安打6の2失点。連勝が始まった。

同19日には広島相手に2度目の出番が回ってきた。先発の中村稔が3回3失点でKOされたあとを任された。先頭に四球、次打者には安打を許した。1死も取れず打者2人、13球で降板の憂き目に遭った。

試合は2-3で敗れ、2戦目にしてつまずいたが、黒星は中村稔についた。

連投、ダブルヘッダー…でも負けない

V9巨人の2年目となる年だった。堀内は惨めなマウンドのあと、出番がもらえない。

3度目の登板は、5月30日の大洋(現DeNA)戦まで待たされた。川上哲治監督が出場登録を抹消していた。1軍を離れること約40日。

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徳島・吉野川市出身。1974年入社。
プロ野球、アマチュア野球と幅広く取材を続けてきた。シーズンオフには、だじゃれを駆使しながら意外なデータやエピソードを紹介する連載「ヨネちゃんのおシャレ野球学」を執筆。
春夏甲子園ではコラム「ヨネタニーズ・ファイル」を担当した。