【帰ってきた山口国男ガイダンスコーナー】(2)

<打倒・中野浩一を目指して>

 選手を引退して、15年になります。現役の頃は、中野浩一君の全盛期と重なっていました。グランプリと特別競輪(現G1)で優勝12回、世界選手権10連覇の強敵ですからね。とにかく勝てなかった。何度も悔しい思いをしたけど、特に忘れられないのは、1980年の松戸記念(現G3)の決勝。中野君が優勝して、年間賞金がプロスポーツ選手初の1億円に届いたレースです。

 この開催の出場メンバー全員を見たら、中野君の実力が飛び抜けていましたね。競輪界は、どうしても中野君に1億円を達成してもらいたかったんでしょう(笑い)。あのころは、全てが中野君を中心に回っていたんですよ。

 中野君は期待通りに決勝へ進みました。6着で1億円を超えることになっていましたが、みなさん、やはり優勝で達成してほしかったでしょうね。ところが、決勝メンバー9人のうち西日本は中野君だけで、私を含めた残り8人は東日本。これは何とかしたかった。私だって選手ですから優勝したい。気合を入れていきましたが、レース終盤に先行選手の番手を奪った中野君に、まくられてしまいました。

<波乱を呼ぶ過度のブロック>

 まあ、いろいろありましたね。だた、中野君がいたからこそ頑張って自分を高められたし、フラワーライン【注】を結成することもできた。競輪の売り上げは増える一方だったし、いい時代を過ごせましたよ。

 今は売り上げ、良くないですね。特にG3以上のレース。いろいろ理由を考えていると、ふと思うんですよ。番手の選手に、もっとしっかりしてほしいと。

 昔から競輪ファンというのは、先行選手の番手を軸に車券を組み立てます。その番手の走りで最近とても気になるのが、まくってきた選手を止める時、大きく押し上げてインをがら空きにさせてしまうケース。そこを3番手や別線の選手がどんどん突いてくるから、考えられない高配当が出る。きちんと技術を身につければ、最小限のブロックで相手を封じられるはずですが…。

 もっとファンを納得させられるレースができるように、練習を積み重ねてほしいですね。

 ◆山口国男(やまぐち・くにお)1950年(昭25)8月11日生まれ。東京都荒川区出身。日本競輪学校24期生、松戸をホームバンクとする東京登録選手として67年にデビュー。特別競輪(現G1)優勝こそ果たせなかったが、72年・高松宮杯と73年・競輪祭で決勝3着に入るなど、トップレーサーとして一時代を築いた。フラワーラインの司令塔としても活躍。01年の引退後、松戸競輪場で競輪ガイダンスコーナーの講師を務め、15年オールスターを最後に定年退職。

 【注】70年代から隆盛した競輪選手の一大グループ。当時の絶対王者・中野浩一を打倒するため、山口国男をリーダーとする関東勢が地域の垣根を越えて南関勢、北日本勢らとラインを組んだ。千葉の「房総フラワーライン」で東京、千葉の選手が一緒に街道練習していたことが、結成のきっかけ。特別競輪の決勝で数々の作戦を打ち出しては成功し、山口国男の実弟である山口健治をはじめ、清嶋彰一、吉井秀仁、滝沢正光らが続々とタイトルを手にしていった。80年代の末ごろに衰退。