ターボまくりと異名を取った痛烈まくりを武器にトップクラスで活躍、自転車の世界選(87年ウィーン)では日本人でただ1人の金メダルを獲得した本田晴美(51=岡山、A3)が、4Rのチャレンジ選抜で32年間の現役生活にピリオドを打った。

 最後まで自力で戦う美学を貫いた。ラストランは最終2角3番手まくりが不発で7着だった。ここ一番でタイトルが取れなかった本田らしい? 結末だった。「思った以上に弱かったわ。でも、競輪学校でも劣等生だった自分が、タイトルは取れなかったが、特別競輪(G1)で活躍できたし、世界選でも優勝できた。努力した分だけ返ってくるのが競輪。後輩たちも頑張ってほしいね」と話した。7R発売中にバンク内で引退セレモニーが行われた。「大好き」なガールズ選手の熱い祝福も受けた。