競輪人生は王者と共に


競輪担当を任された直後、幸運にも「初タイトル獲得」を取材する機会に恵まれた。競馬へ異動する直前には「最後の戴冠」も見届けることができた。


1993年・宇都宮オールスターを皮切りに、2005年・名古屋オールスターまでG1優勝16回を数えた神山雄一郎の全盛期。私の“競輪人生”の始終と一致し、共に過ごせたことに対しては、今も感謝しかない。


そして、王者は引退を表明した。


1993年・宇都宮オールスターでG1初制覇を果たして号泣
1993年・宇都宮オールスターでG1初制覇を果たして号泣
最後のG1制覇となった2005年・名古屋オールスター決勝で胴上げ(共同)
最後のG1制覇となった2005年・名古屋オールスター決勝で胴上げ(共同)

「まくりオオカミ」の本音


追い込み選手として現役生活の晩年を送った神山だが、かつては自力で輪界を席巻した。その象徴は、鋭く、計算され尽くしたように届く、まくり。さらには、巧みに中団以内を奪い取るポジショニング。


当時の競輪G1決勝を実況していた古舘伊知郎アナは「送りオオカミ」からヒントを得て、神山に「まくりオオカミ」というニックネームを付けて世に広めた。


しかし、私の中では別のインパクトが最も強く残っている。


競輪の華は「先行」「逃げ」だ。ゴールまでの長い時間を風圧に耐えなければならない、過酷な戦法。だからこそ逃げ切れば、時には負けた時でさえ、ファンから、選手から、最大の賛辞を送られる。


強者が逃げると、簡単にはまくれない、差せない。他のラインの選手は、何とか後方に追いやろうと躍起になる。神山もデビュー当初は先行でねじ伏せていたが、級班が上がると別線の抵抗が厳しくなり、足をためてのまくり勝負へとシフトチェンジせざるを得なかった。


ただ、あくまで本音は「先行選手でありたい」。


異動してから6年後、神山に取材を申し込み、単独インタビューしたことがある。その中で「最も印象に残っている自身のレース」を1つ挙げてもらった。質問する前、私が頭の中に浮かべていた候補は、1つ目がG1初優勝の宇都宮オールスター決勝、2つ目がグランドスラムを達成した99年・静岡ダービー決勝。そして…神山の答えは、3つ目のレースだった。


1999年・日本選手権でグランドスラムを達成してファンの祝福を浴びる
1999年・日本選手権でグランドスラムを達成してファンの祝福を浴びる

その快挙は陰に隠れ


97年11月。神山は小倉G1競輪祭で決勝へ進んだ。難敵は、神山と2強時代を築き上げた吉岡稔真(引退)。3分戦で番手が競りとなってしまった神山に対し、吉岡は最終的に3人もの援軍を得た。どう考えても神山の劣勢は否定できない。


ところが神山は、この不利をものともせず打鐘から先行態勢に入った。最終ホームでは、もう1つのラインのカマシを自らブロックして止める離れ業を披露。まくりに回った吉岡も不発に終わらせ、圧巻の逃げ切りを決めた。


競輪選手初の年間獲得賞金2億円突破、同10年ぶりのG1・3大会連続優勝、そして競輪祭V3。記録ずくめの勝利に盛り上がる神山の会見で、私の関心は「陰の快挙」に向いていた。(つづく)