極限の4走を駆ける


神山雄一郎の全盛期におけるG1では、敗者戦に回るケースなどを除き「1開催4走」が基本だった。


優勝した1997年の競輪祭で、神山は初戦から決勝までの全4走で先行。2走目こそ7着だったが、他の3走は鮮やかに逃げ切った。


心身ともに極限まで追い詰められるG1で、逃げに徹するだけでも消耗は計り知れない。先行といえば宿敵・吉岡稔真の代名詞だった。その吉岡さえ、11回のG1優勝において4走とも主導権を取ったケースはない。


G1・1開催の全4走を逃げて優勝。それを「まくりオオカミ」がやってのけた。翌日の紙面用に、記事を書き始める。内容の中心は「競輪選手初の年間獲得賞金2億円突破」になったが、その陰で光った神山の快挙も余すことなく伝えることができた。


1997年・競輪祭3連覇と史上初の年間賞金2億円達成を報じる日刊スポーツ紙面
1997年・競輪祭3連覇と史上初の年間賞金2億円達成を報じる日刊スポーツ紙面

「疲れたという気持ちが強かったけど、優勝で半分は吹き飛びました。これからも先行選手としての自分をアピールしていきたいですね」。後日の取材で会った時、神山は喜色満面、誇らしげに胸を張った。


異動後に実現した単独インタビューで、神山は吉岡との関係性、そして97年の競輪祭を、こう振り返っている。


吉岡稔真は「財産のようなもの」


吉岡君との対戦が近づいて、関東(神山の地元・栃木)が晴れていて、九州(吉岡の地元・福岡)が雨だったら「1週間くらい降ってくれ!」と本気で祈っていましたね(笑い)。雨だと自転車に乗れなくなって、練習量に差をつけることができますから。


現役時代の吉岡君とは話したことがありません。ライバルと話すなんて、僕の中では考えられなかった。ライバル同士というのは、そうあるべきというか、それが自然だと思いますよ。今の選手にもライバル関係はたくさんあるようですけど、みんなレースが終わったら仲良く話していますね。僕にはできませんでした。


それくらい、吉岡君には勝ちたかったんです。ひたすら「畜生!」という思いで練習して、負けた時は本当に悔しかった。だからこそ、吉岡君がいたからこそ、今の自分がある。僕の競輪人生の中で、彼は財産のようなものです。


1994年・びわこG1高松宮記念杯の決勝で発走を待つ神山雄一郎(右)と吉岡稔真
1994年・びわこG1高松宮記念杯の決勝で発走を待つ神山雄一郎(右)と吉岡稔真
1997年・びわこG1高松宮記念杯で優勝した吉岡稔真(中央)、決勝2着の神山雄一郎(左)、同3着の児玉広志
1997年・びわこG1高松宮記念杯で優勝した吉岡稔真(中央)、決勝2着の神山雄一郎(左)、同3着の児玉広志

洗練されたベストレース


競輪祭は神がかり的でしたね。いつもそうなんですが、走る前に戦法を決めておくことはしなかった。たまたま流れが向いて、気が付いたら4走とも先行していたんです。調子は良かったし、体が自然に動いていた覚えはあります。


一口に先行するといっても、1本調子では駄目。相手に動きを読まれて、結局は先行できずに終わります。あらゆる先行パターンを研究、マスターしてこそ実力を出し切れる。


2億円を達成した決勝のレースは、僕が積み上げてきた先行の完成形といえるものでした。ペースの緩急、スピードの乗り、そして最後の粘り。どれを取っても洗練されていた。僕のベストレースです。


G1初制覇の93年・宇都宮オールスターは直線一気の追い込み、グランドスラムを達成した99年・静岡ダービーは十文字貴信(引退)をフルに利しての番手絶好Vだった。「先行の神山」にとっては、競輪祭こそ最も誇り高きレース。その思いを、しっかり受け止めることができた。


私の記憶の中に、神山は最強の先行選手として刻み込まれている。ただ、長きにわたり多くの功績を積み上げてきたレジェンドだけに、ファンに与えた印象や思い出は、1つの枠には収まらないだろう。どうか「それぞれの神山」を、末永く語り継いでほしい。


ありがとう、神山雄一郎。次のステージでも光り輝くことを、切に願う。(おわり)


2024年12月24日・引退会見に臨んだ神山雄一郎
2024年12月24日・引退会見に臨んだ神山雄一郎

節目の年は神山雄一郎と同じ


◆藤代信也(ふじしろ・しんや) 神山雄一郎が競輪デビューした1988年、日刊スポーツ新聞社に入社。芸能、サッカーなどを担当。神山が最初のG1制覇(宇都宮オールスター)を果たした93年から、神山が最後のG1制覇(名古屋オールスター)を果たした2005年まで競輪を取材。予想では大穴指向を貫き、96年KEIRINグランプリの2車単1万1710円(◎小橋正義○神山雄一郎)を筆頭に、ビッグレースで高配当を多数的中。10年からニッカンスポーツ・コムで、公営競技の全ジャンルと競馬を担当し、神山が引退を発表した24年に定年。