1993年10月28日。サッカーファンにとっても、カズにとっても、忘れられない歴史的1日。「ドーハの悲劇」と呼ばれる、W杯アメリカ大会アジア最終予選イラク戦。13日に日本代表がW杯ロシア大会アジア最終予選でイラクと中立地イラン・テヘランで対戦し、1-1で引き分けた。約24年前、日本代表としてドーハのピッチに立っていたFWカズ(三浦知良、50=現J2横浜FC)の脳裏には、今でも鮮明に記憶が宿っている。

 カズ 思い出しますよね。その時の状況だったり、もうちょっと、こうできなかったかなというのをね。まあ、あの実力が僕らのすべてだったかなとも思いますし。W杯予選というのは、レベルが均衡しているし、どの時代も大変だなと思いますね。

 勝てば他の結果にかかわらずW杯初出場が決まる試合だった。ブラジルに渡ってプロになり、W杯の存在を日本に広く知らしめたカズにとっても、サッカー人生の1つの分岐点となったことは間違いない。前半5分にカズが頭で押し込み先制。後半10分に同点されたが、同24分にFW中山雅史(現J3沼津)がスルーパスに抜け出し、勝ち越し弾を決めた。誰もが「勝利=初出場」を疑わなかった。

 当時、私は高校3年。野球部だった私でさえ、試合直前に風呂に入って身を清め、テレビの前で90分間、気持ちは一緒に戦っていた。残り10秒。相手にCKを与えた。素早いショートコーナー。パスを受けたフセイン・カディムにカズが振り切られ、クロスが上がる。ニアサイドのオムラム・サルマンがヘディングシュート。まさにスローモーションのよう。放物線を描き、ゴールにボールが吸い込まれていくよう。ロスタイムに入り、20秒が経過したところだった。2-2の同点。他国の試合結果により、つかみかけていた初出場切符が、粉々に破かれた。

 イラクとは1978年7月の初対戦では0-0のドローも、その後は3連敗。ドーハの悲劇でも引き分け、日本にとっては大きな壁だった。だが、トルシエ監督時代の2000年10月のアジア杯で4-1で初勝利を挙げてから、7連勝。13日も負けることはなかった。

 カズ 個人的には、そこまでイラクが(特別)っていうのはないんだけど、中東が相手っていうのは独特のやりにくさっていうのはありますよね。この前のシリアもそうですけれど、彼らにはうまさも個人技もある。強さもある。それでも日本はW杯予選やアジア杯などを通じて、イラクに負けていない。そういうことが歴史となって積み重なって自信になって、強い日本代表っていうのができていくわけですからね。アジアでは常にトップでいてほしいと思いますね。中東相手でも東アジア相手でも、負けずにトップでいてほしいですね。

 4年後のW杯フランス大会では、日本がアジア予選を勝ち抜き、初出場をつかんだ。だが、カズは直前合宿でメンバーから外された。当時は後輩たちに託さざるを得なった夢舞台への出場が、今では当たり前になりつつもある。2026年大会には、出場数が現行の「32」から「48」へ。アジアの出場も「4・5」から「8」と増加する。それにはカズは「ちょっと多すぎだよね。自分たちの時には2つ。広げすぎじゃないかなとも思うよね。簡単ではつまらない」。厳しさが軽減されることに、少し寂しさも感じているようだった。

 8月、9月にはオーストラリア戦(ホーム)、サウジアラビア戦(アウェー)と続く。どちらかに勝てば、6大会連続出場が決定する。負けてアジア地区プレーオフ(10月)、北中米カリブ海予選4位との大陸間プレーオフ(11月)と続く可能性もある。修羅場をくぐり抜けて強くなってきた日本サッカーの歴史。そう考えると、最後の1枚となるロシア切符をかける戦いを経験するのもマイナスではないのでは…と考えてしまうのは不謹慎だろうか。【鎌田直秀】

 ◆鎌田直秀(かまだ・なおひで)1975年(昭50)7月8日、水戸市出身。土浦日大-日大時代には軟式野球部所属。98年入社。販売局、編集局整理部を経て、サッカー担当に。相撲担当や、五輪競技担当も経験し、16年11月にサッカー担当復帰。現在はJ1鹿島、J2横浜FCなどを担当。イラク戦が行われたテヘラン後、ドーハに1泊だけ立ち寄り、40度を超える暑さだけは体験してきました。