松橋力蔵監督(54)率いるアルビレックス新潟が10月16日、勝ち点4差としていた2位横浜FCがツエーゲン金沢に敗れたため、03年以来2度目のJ2優勝を決めた。同じ日、松橋アルビが優勝を果たす約4時間前、J2ヴァンフォーレ甲府が天皇杯を初制覇した。甲府の吉田達磨監督(48)は16年の終盤戦まで当時J1だった新潟を指揮するなど新潟のファンにとってもなじみのある指導者だが、甲府の優勝は松橋監督にとってもうれしい出来事の1つだったようだ。

松橋監督が千葉・市原緑高を卒業し、日産自動車(現J1横浜マリノス)に入団するまで指導していたミナトサッカークラブ(千葉・鎌ケ谷市)に通っていたのが、当時中学生だった吉田少年。「僕が18歳で達磨が13歳。達磨は埼玉の三郷市から通っていた。約1年間、一緒にサッカーをしていた」と懐かしそうに当時を振り返る。

松橋監督を追うように吉田監督は柏レイソルでプロの道に進み、97年には京都パープルサンガ(現京都サンガF・C)で1年間、チームメートとなる。2人は現役引退後、Jクラブの下部組織の指導者となり、何度も対戦。互いに多くのプロ選手を輩出するなど育成年代の指導者として名をはせた。

松橋初代チルドレン(?)の吉田監督が成し遂げた偉業に「甲府が優勝した時、1人で発狂していた。その大声に強化部の方が驚いて部屋に入って来ました(笑い)」。自分のことのようにうれしかった松橋監督は即、お祝いメッセージを送信。「誰よりも早く、1番にメッセージを残したかった」と目を輝かせ、互いのJ2優勝と天皇杯優勝をたたえ合ったと言う。「プロの監督初勝利も達磨から(22年3月19日、新潟2-0甲府)。何か縁みたいなものを感じます」。吉田監督も「松橋さんは中学の時から僕のアイドルだった」と憧れの存在だったと明かしている。

両監督が同日に優勝するというドラマチックな1日となったが、天皇杯を制した吉田監督は来季アジア・チャンピオンズリーグ出場権獲得を置き土産に甲府を去ることとなった。気になるのはプロの監督業1年目ながら新潟をJ1復帰に導いた松橋監督の来季続投だ。10月19日の練習後、松橋監督が「(家の)テレビがBS放送しか映らなくて…、早く直さないと」と笑った。優勝を決めた横浜FC-金沢戦も見てなかったという。私は「テレビを直すということは続投ととらえても」と投げかけたが、「何も話はしていない。全部終わってからになると思います」とスルリとかわされた。

来季も松橋監督が先頭に立ち、J1のステージで新潟旋風を巻き起こしてほしいという願いは届くのか。そして吉田監督の新天地は。今後も両指揮官の対戦を楽しみたい。【小林忠】

◆小林忠(こばやし・ただし)1985年(昭60)6月26日、新潟県阿賀野市(水原町)生まれ。水原サッカー少年団で競技を始め、北越高2年時に全国高校選手権16強進出を経験。保育教諭としてこども園に12年半勤務した後、ひょんなことから19年途中に入社。20年からJ2新潟担当。