勝てばW杯ロシア大会出場が決まる一戦に向け、W杯を巡る日本の宿敵との戦いをたどる連載「俺とオーストラリア」。第5回は、10年南アフリカ大会出場を決めた後、予選首位通過を目指した最終戦に出場したFW玉田圭司(37)。当時はJ1だった名古屋グランパスで、現在もJ2に降格した名古屋で奮闘している。

 1トップで先発した玉田の脳裏をあの大きな目標がよぎった。「W杯4強」。予選中に岡田監督からミーティングで全員に伝えられた日本の目指す位置-。前半39分、DF闘莉王のヘディングシュートで先制したが、後半14分に「日本の天敵」FWケーヒルに同点弾を許した。同32分には再びケーヒルに勝ち越しを浴び、逆転負けを喫した。

 既にW杯出場は決めていた。ここでアジアの宿敵を倒せなければ、W杯4強は現実的には見えてこない。だが、日本は警戒していた高さでやられた。06年ドイツ大会1次リーグで対戦した時も先制しながら、終盤の3連続失点。その時と同じパターンで黒星をつかまされた。当時の新聞には「4強厳しい」の文字が並んだ。玉田も焦燥感にかられた。

 「結局、セットプレーでやられた。チーム状況は悪くはなかったけれど、みんなそれぞれ危機感があった。W杯4強を達成するためにはどうしたらいいのか…」

 試合後、自問自答する中で原点に立ち返った。このチームで岡田監督が基盤としてきたものは何だったのか。DF中沢やMF遠藤、中村俊らベテランがけん引。DF内田や長友、FW岡崎ら若手の台頭も著しく「すごくチームとしてバランスが良かった」という。その融合を進めるために指揮官が、1人1人に明確な目標を与えていたことを思い出した。

 最終予選のある日、玉田は岡田監督に呼び出されている。宿舎の静かな部屋で、2人きり。緊張で体と心がこわばる中、「引っ張っていって欲しい、チームをまとめて欲しい」と伝えられた。当時29歳。自分がベテランと呼ばれる立場であることに気付かされた。

 「プレーや得点でももちろん引っ張っていく。でも、それだけじゃない。宿舎では、経験豊富な選手が率先して話し合いの場を作っていた。自分もまとめないと、と思った」

 オーストラリアに敗れたことで生まれた危機感はプラスに転じた。本大会に向け、ベテランも若手も仕切り直した。

 「W杯出場は決まっていたけれど、出る選手は決まっていなかった。『個々のレベルアップがもっと必要』とみんなで言い合った。それぞれクラブに帰ってしっかりやらないと、と気持ちは引き締まった」

 1年後の南アフリカ。サムライブルーはそれまでの個々の奮闘を集結し、強豪のカメルーンとデンマークを撃破した。1次リーグを2勝1敗で、02年日韓大会以来となる決勝トーナメント進出を果たす。最終的に16強で、W杯4強の目標には届かなかった。しかし、オーストラリア戦の敗北をバネに、世界に確かな爪痕を残した。【小杉舞】

 ◆玉田圭司(たまだ・けいじ)1980年(昭55)4月11日、千葉県生まれ。習志野高から99年柏入り。06年名古屋-15年C大阪を経て今季名古屋復帰。W杯は06年ドイツ、10年南アフリカ大会出場。ドイツ大会1次リーグのブラジル戦で先制ゴール。国際Aマッチ通算72試合16得点。173センチ、68キロ。