20年前の04年4月24日。現場で取材していた私は、日本女子サッカー界の歴史が、北朝鮮戦の勝利から大きく動いたことを実感した。

快勝して五輪切符を獲得したこともそうだが、閑古鳥が鳴いていた女子戦に国内史上最多の3万人超の観衆が集まった。機運を作り、先頭に立って走り回ったのが、当時の日本サッカー協会会長、川淵三郎キャプテンだった。テレビ局に働きかけ、生中継を実現させた。北朝鮮戦は最高視聴率31・1%と女子戦史上最高の数字(当時)を記録した。

決勝は中国に敗れたが、広島から帰京した川淵キャプテンは、女子代表の盛り上げに、次なるアイデアを考えた。番記者と神田のそば店で昼食の席上。飛び出したのが女子代表の愛称プランだった。「ジーコジャパンやトルシエジャパン。男子はなじみがあるし、女子も愛称が欲しいねえ」。

協会に戻った同キャプテンは、その足で一般公募をスタッフに提案。3カ月後には「なでしこジャパン」が誕生した。まさに電光石火の行動力だった。

20年の時を経て、再び北朝鮮を破り、五輪の切符を手にした。新生なでしこ再出発。フィーバー再来を期待したい。【田 誠】

なでしこ、パリ五輪切符を獲得!負ければ終わりのアジア最終予選で北朝鮮を破る/ライブ詳細